乾いた日だまりの
陽光の香り
猫のように眠ろうという誘い



 甕覗き



雨上がりの午後。
病室の窓辺には射していた弱い日光が体を包んでいる。

傷が癒えてきたのだから軽い運動を、という勧めに従い綜合救護詰所の中庭を選んだ。

草履裏を重くする泥の感触が、また来る、と言い置いたきり姿を見せない男を思い出させる。

このまま会わずに済ませるのだろうか。

素足へ跳ねが上がるのも構わず、朝に夕に湧き上がる疑問を振り落とそうと足に力をこめる。

相手は忙しいのだから、そうそう来ないかもしれないが、会えばまた問い詰めずには居られない。

奪う行為が愛であるはずがない、大体いつから貴方はそんな風な欺瞞を演じておいて、私に目をつけた理由は何か。

事実に従って思考することが好ましいのに、情報は少なすぎる。
わずかばかりの証拠を転がしてばかりいて、それで苛立つに違いない。

考えることと歩くことが、てんでばらばらになってきたあたりで、汗ばんだ体に気づいて立ち止まると、雨の匂いが残る空気が肺に染み込む。
見上げると、色濃い雲が西のほうから泳いでくる。

ふいに、ばたっと水気を含んだ土の打たれる音がした。
苦しく首をねじると、かろうじて音の主がわかった。
苔色の布から、無残に放り出された紙の束が泥の上に散っている。

足早に近づいてくるのは、その包みを持っていた者。
驚いたような目をした藍染惣右介だ。

「あ、隊長っ!」

さきに細い銀鎖が軋むように叫んだのは可憐な副官だ。
泥水に染められつつある風呂敷包みと、それを放った上司を、狼狽しきって交互に見ている。
ついで彼女はいそいで包みに救いの手を伸ばす。

も包みの中身は知っている。
藍染の受け持つ習字の講義は、時に課題を課しているのだ。

普段の藍染惣右介は生徒の習作を手荒に扱うことなどしない。執務の合間を縫って、丁寧に一文字一文字添削をする時も、書いた本人が傍にいるかのように細やかに筆を運ぶというのに。

 ……濡れてしまったら……

打ち捨てられたものを集めようと小腰をかがめる雛森の困り果てた視線が、の上で止まった刹那、苦しげに引き攣れた。強く結ばれた唇は噛み締められて震えている。それでも彼女の華奢な手は、すでに泣いたように滲んだ文字の清書を拾いつづける。

荷物を捨てた男にも、あの声は届いているだろうに。
黙々と手を動かす副官には一瞥もくれず、彼の目はだけに注がれる。

まるで本当の慈しみ深い愛に満ちているかのように。
喉の渇ききった者がようやく清水に出合ったように。

そして白い羽織の袖が、こわれものを包むようにの肩を抱き、やんわりと胸元に閉じ込める。

ぞっとするほどの冷たい怒りが胃の底でうねった。

「藍染隊長ッ!? はなして、ください!」

押し退けようと精一杯の力をこめる。
憎悪で膨れ上がる喉は、自然と声を大きくする。

「荷物を、あんなこと、雛森さんも困っています。何するんですか!」

「え……」

彼の口調は、今、ようやっと気づいたと言うふうだ。
腕は変わらずを抱いたまま、二人して同じほうを向く。
やっと、ぞんざいに投げ捨てたものを見た方が、我に返ったふりをする。

「ああ、そうか。」

ためいきと言葉を吐き出して、顔を曇らせる。
続けて、やや早口に副隊長へ声を掛ける。

「雛森君すまない。僕が、……不注意だった。
 皆にも謝らなければならないな。」

今度こそ身を離す良い頃合いだと、相手の腕を突きのける。

「私は、大丈夫です。隊長はお戻りになって結構です。」

手伝いに行けと、言外になじる。
こんなことは早くに、と、念じた言葉で割りこんだのは意外な者だった。

「やめてください!!」

それは思わぬ怒気をはらんで鋭く響いた。
雛森桃は、慌てて声を低めて言葉を足す。

「すみませんっ。あの、でも、藍染隊長は」

言い淀み、意を決した目でを見て、きっぱりと言い添える。

さんが、心配だったんです。
 最近よく気にかけていらっしゃったし。
 今日やっと、お見舞いに寄る時間ができて……」

藍染が、気づかいにあふれる声で副官の話をさえぎった。

「雛森君! 本当に、君には気を使わせてばかりだね。ありがとう。
 でも、僕がいけないんだ。君のせいじゃない。」

凪いだ表情も暖かな口調も笑みも、部下を労うには足りていた。
飲み込みの良い副官に、から言いたいことは山ほどある。

けれど病室へ送ろうと言われ、さらうようにその場から離れさせられた。
藍染の腕は見えない膜のようにと外界の間に立ちはだかって、やぶれない。













◇2015.04.28◇
反乱の前のお話。続編。
本誌に返り咲いてらっしゃったので、ひっそりお祝い。



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