蝶よ花よ − 捕 −



------あなた、だけを------

しんみりと言って聞かせる文句の先は見当がついている。

------好き、だよ------

そう阿近に言って聞かせる女はどこか捕えどころがなく滅多なことで取り乱すことのない、ひとつところへ落ち着くのが苦手な気性。そんな奴の唱える呪文にもかかわらず、いつも最後まで聞いてしまう。

ある日は夜半も過ぎて自室へ戻ると気配がした。目の前へ闇が剥がれ落ちたような羽の蝶がかすめる。そのまま数歩も歩けば勝手知ったる他人の部屋で布団にくるまった平和な寝息が聞こえてくる。

「いつから寝てんだ。」

「…あ、おかえりぃ。」

阿近が足先で揺り起した相手は夜具から滑らかな肌を存分に披露するように腕をぐっと伸ばす。どこか起き抜けの猫が四肢を遠慮なく屈伸する様に似ている。上掛けを抱くように上を向いたは阿近を見、口元に笑みを浮かべた。

「阿近に、起されたくって。」

「俺に?」

ふん、と冷笑に近い苦い息がもれる。は死神として一級の実力をそなえているだけでなく、均整のとれたしなやかな肢体と漆黒の闇が命を吹きこまれたかのような髪をしている。ふるいつきたいような…とは、まさにのためにある言い回しだと思わせる。しかし阿近に溜息をつかせる原因は、の唯一最大の欠点にある。

「お前そんなら…」

他所に寝ぐらを作るな、と言ってみたい気がした。の気ままな性格も浮気性も付きあう前から知っていたが、以前の阿近が見落としていたのは独りに戻る術を見失うほどの欲に手を出そうとしていた点である。間を埋めるように、またもやひらひらと目の前へ飛んできた蝶を手で払う。たいていの虫なら振り払えば逃げるものを、蝶ときた日にはかえってまつわりつくように飛ぶ様子が気に障る。

「あぁっ…何考えてんだ、コイツは」

掴みそこねた蝶へと呟いた。

「好かれてるんだよ。きっと。」

が顎を上布の端にうずめて言った。

「なんとかしろ。」

蝶の通ったあとの空間を挟んで続ける。

「この、ふらふら飛んでる奴を。」

は言葉というには足りない音節を喉で鳴らすと指を差しだし蝶を招いた。音もなく黒い一対の羽が舞い降りる。緩慢な動きへかわる蝶の羽。軽やかに自在に部屋を飛んでいた虫の姿は、今や、のたなごころにつながれている。そうして黒い羽ごしに阿近に向けられた瞳はゆっくりと細められる。の唇は、易い仕事であったという気配をただよわせて再び愛しい男の名前を生んだ。

「阿近。ほら、つかまえた。」






◇06.04.07◇
「蝶よ花よ」は綺麗で浮気性のヒロインが居る連作です。


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