体調が悪いと、どうも気弱になっていけない。
 熱で頭が回らないせいでロクな言葉も出てこない。


 「……俺が寝るまで、ここにいてくれ。」


 これは言い訳じゃない。
 他に方法がなかっただけだ。



   蝶よ花よ − 看 −



 頭がガンガンする。
 体中がどんより熱を帯びているのに、肩や手は冷えきって凍るような気がする。
 俺はくるまっている布団を握りしめ、仕事を休んで良かったと思った。こんな状態で行った日には、文字通りミスが命取りになりかねない。涅隊長の新薬の実験台にまわされるのが目に見える。

 さして離れていないはずが、今はずいぶん遠く感じる台所からコトコトと鍋の音が聞こえる。

「もう、すぐだからね。」

 が料理をするところを見るのは初めてだ。しかし、そもそも家事をしているのを見たことがない。
 あいつは縫い針を持てば最初の二針で針を折り、掃除が面倒だと言って家に帰りたがらず、洗い物は店へ頼むので手順すら知らないらしい。
 うかうかしていると家事の全てを知り合いの男連中に振り分けたあげく、「だって花太郎は死覇装のカギ裂き直してくれたんだもの。」などと、浮気の理由に事欠かないので油断がならない。

 それでも、料理だけはできたのか。
 鼻が詰まっているせいで、口で荒い息をついているところへ、どんな短所も謎めいた美貌で補ってあまりある女が、音も無く畳を踏んで来た。流れるように優雅な所作で枕元に膝をつき、運んできた椀を差し出してくれる。

「阿近。さ、飲んで。」

 受け取った椀は黒い安物だ。その八分目まで透明の汁物が入っていた。
 勧められるままに口をつけると、舌の上へ生暖かくまったりした液体が流れ込んだ。喉が渇いていたのと味がよく分からなかったため、ガブリと液体を飲み込んだ途端、カッと焼けるような熱さが喉から食道へかけて広がった。
 飲み物の正体に気づいた驚き。そこへ風邪による嚥下不良が見事に重なった。

「ぐッ……う、」

 飲みこみそこねた液体は普通空気しか通すべきでない場所へも流れ込み、所によっては逆流する。たまらず俺は激しく咳こんだ。

「グッウガッ…ゲホッガハッ、ッこ」


 これは酒じゃないか!!


 だが息をするのもままならない状態では、どんなに憤慨していても話ができない。

「阿近、だいじょうぶ? 調子悪いんだね。」

 ひっくりかえった椀を拾ったを、咳込みながらかろうじて睨みつけた。
 にはまったく悪気が無いらしく、慈しみ深く微笑むと心得顔で濡れ布巾を差し出して言う。

「私にできる料理はこれきりだけど、多めに作っておいたから。」

「……なッ」

 椀を手に、いそいそと台所へ戻りかける
 ゲホゴホと咳をしながら、必死で布団を跳ねのけ両腕で相手の腕を引ったくるように捕えた。それから絞りだすように、痛む喉に鞭打って喋った。

「頼む、どこにも、いかないでくれ。」

 そう、特に台所には。

「……俺が寝るまで、ここにいてくれ。」 

 しなやかな手が、やんわりと俺を布団の中へ押し戻した。
 の声が楽しそうに笑みを含んでいる。

「ふうん? 気弱な阿近なんて、めずらしい。」

 練絹のようなきめ細かな声はしっとり耳に心地良い。
 出来はともかく料理も真心から作って……。

 いや、そういう問題じゃない。

 手料理で看病したいって考えはともかく、あれで良いわけがないだろう!
 まあ病気の時に少しぐらい感謝するのはいい、それでもどうして俺はあいつに迷惑だと言えねえんだ、などと自己弁護と批判とで混乱した状態のまま、俺は眠りへと落ちて行った。






◇2008.08.11◇
 阿近さんと一緒にいるヒロインは、うちのサイトで一番家事が苦手です。



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