真央霊術院に入ってから六回目の冬が始まっていた。
窓硝子の向こうに厚い雪雲が低く空を覆っているのを横目に、身長差のある二人で廊下を進む。
背の高い女生徒の後ろをついていく少年は銀髪で、今や名前を知らない院生はいないだろう。二人を見かけた院生達は、毅然と背筋を伸ばして通りすぎる女生徒と対照的に、ざわめき畏怖するような目を向ける。
可愛くないね
「なぁ、」
「呼び捨てにするな。下回生らしくしろ。」
担任に引き合わされたのは噂通りの子供だ。
彼は見た目が幼かろうと、それどころか…危険なほど強く不気味で得体の知れない者であったとしても、今日から同級生になる。
生意気で扱いにくそうだ、と思いながら先に立って歩いてきたのだが、すいと相手が急にこちらを追い越した。そうして器用に後ろ向きで歩きはじめる。
「ほんなら、センパイ。」
なんとなくイントネーションの浅薄さに引っ掛かったが、眉を寄せただけで返事をする。
「なんだ」
「おねーさまって呼んでええ?」
ぴたりと足を止めると、相手も止まり、音も無く笑みを深くして見上げてくる。
入学より数カ月で真央霊術院の六回生まで飛び級してきた恐るべき「神童」。早くも私闘で死神を血祭りにしたらしい、との噂も、まことしやかに囁かれている。その上、この顔だ。
張りつけたような笑みを四六時中浮かべていては、もはや無表情と同じであり、あからさまに冷笑されている気分さえする。
「市丸。実の兄弟でもない奴が莫迦なことを言うな。」
冷たく、新しい同級生を追い越して足を動かす。
後ろから懲りない子供が追いかけてくる。
「なんや。下の子ぉらが級長で首席で背ぇ高いおねーさまや言うてたから、てっきりあだ名や思てたわ。堪忍な、。」
また呼び捨てにした声に笑みを含んでいる。
嘘をつけ、と鋭く言い返してやりたくなった。
自分の背は、やや高い。成績なども男勝りなのを色々に呼ばれているのを知っていて、反応を見て楽しもうというのだろう。
こんな者のペースに乗ってなるかと大股になったが、帰る教室はまだ彼方にある。
「急げ、市丸。授業前に自己紹介を済ませる予定だ。」
「ギンでええよ。」
言っても直さないタメ口には、目をつむってやることにしよう。
しかし新入りの子供に命令され続けるような事は勘にさわる。
「市丸でいい。」
言い返した自分が大人げなく意地を張っているようだと、口に出してから少し悔やんだ。
「愛想ないなぁ。」
市丸ギンの言い方には、作り事めいた陽気さがある。
おそらくそれを指摘すれば、さぞ腹立たしい返答が返ってくるに違いない。
「ま、ええけど。」
あっさり引いた相手に、そっと安堵して息を吐いた。
追いついた市丸が、左に肩を並べて歩きはじめた。
そのまま、しばらく無言で行くとようやく教室が見え、こちらに気づいたらしい院生が急いで室内へと入って行った。
たぶん到着を知らせているのだろう。あと数カ月で卒業という時期に飛び級で加わる少年は、ここ数日、何かにつけ話題を独占し通しだった。
室内の騒めきを想像していると、横から何気ない調子で話しかけられた。
「卒業したら死神になるんやろ。」
「そうだ。」
「ボクもや。」
そうだとしても、こいつと同じ隊にだけは所属したくないなと考えながら、教室に入るべく歩みを遅くすると、先に戸口を塞ぐような場所で市丸が立ち止まってこちらを向いた。
冷たい白い髪がさらりと染みひとつ無い襟を掠めた。
「そんときは、。
ボクが上んなって、好きなようにしたる。」
やや低い声を押しつけられて息を飲んだ。
幻のほっそりし上背のある男が、やはり底の知れない笑みを浮かべて立ちはだかる。襟の黒布の上を銀の火花が駈け抜ける。小柄な少年をそのまま縦に引き伸ばしたような男。今や相手を見上げているのはのほうだ。
その不確かな感覚に囚われているうちに、泳いでしまった目が確かに、勝ち誇った笑みを捕えた。
「莫迦! 百年早い!」
思わず怒鳴りつけた自分に同級生達の注目が集まった。
「子供のくせに…」
すばしこく、するりと背を向けて教室へ入った少年を追えず、熱くなる頬をごまかすために髪をかきあげてから、気がついた。
呼び捨てを咎めるのを、忘れていた。
◇08.04.30◇
年下の手強い相手。市丸ギンには「ちょいワル」の時代なんて無かったんじゃないかと思います。