花衣


愛する人と一緒に爛漫と咲く花の下にいる。見上げれば青空を背にした枝々が薄淡い色の花をいっぱいに装って重なりあっている。風のたびに白い小さな花弁が舞い落ち自分の手のひらをかすめれば、今が夢幻の類でないこともはっきりと感じられる。隣に座っているのはまぎれもない更木剣八であるが、すこし前に「花見に行くぞ」と言われたときには耳を疑った。なにしろの方から花見の話を出した時にはすこぶる退屈そうに「花なんぞ毎年おんなじじゃねぇか。」と言い、あろうことか「一回見て覚えときゃいいもんを毎年見に行くヤツの気がしれねぇな。」とまで言われていたからだ。それで、花は花でも百年に一回開くようなものを見に行く相談かと思って聞き返した。

「花見って…なんの花?」

そう聞くと、相手は憮然と「桜だ。」と言い「ま、メシのついでにな。」とつけくわえた。

その後、時間は進み二人は花の下に居る。本当を言えば、今年の春は友達か仕事仲間との花見だけかと思っていた。相手が相手なのでどこか諦めていた。だから思わぬ幸福に比べれば、少々気になることがあったとしても口に出すほどのことではない。さきほどから周囲の盛りあがっている酒席では大声で指示を飛ばす声が聞こえるとしても。

「おぉーい! 酒ぇッ! 切らすなっつってんだろ、ボケ!」

「すんませんっっ、一角さん!」

別に、十一番隊隊士が十数人一緒であったとしても、彼らの半数以上がすでに諸肌脱ぎになっていたとしても構わない。和気あいあいを通り越した話し声やともすれば喧嘩ごしになるやりとりで周りはかなり騒がしいとしても、彼らよりよほど、先に食事を終えたやちるが身軽に散る花を追いかけてきゃーきゃー言いながら走りまわっているほうが微笑ましいとしても、酒の匂いが微かな春風を圧倒していることにだって目をつぶろう。でも、もしやちると剣八と自分の三人きりだったらもう少しは、などと考えると喧騒から目をそらすように上を見上げる。風に舞う花を眺めていると急ぎ足で近くの屋台から走ってきた者が声を掛けた。

「お待たせしやした、お姐さん。こちら、握り飯付きで。」

明らかによりも剣八に気を使っているらしい男は、酔っぱらいの群れと甲乙つけがたい強力な香りを放つ料理の椀…握り飯つき…を手渡す。中には大量の油で炒められたエビが、これも呆れるほど大量のニンニクにまみれて盛りつけられている。

「エビ…いただきます。」

「おう。うまかったぜ。」

「いやー評判の屋台だけのこたぁありますね。」

屋台の品書はニンニクがけのエビ炒物一品だが、その味は最近一部の死神の間で人気を博している。口に入れるとニンニクの香りがエビの味を引き立てている、と言えば聞こえが良いが、お世辞にも「上品」とは言えない類である。というか、味以前に油っこい。同じ椀に入れてもらったお握りにもエビ味の油が染みこみはじめている。

「濃い味ー、にんにくがまた多いし…これ…」

ちょっとB級グルメ過ぎている料理を食べ始めると、さきほどよりもっと桜に期待した風雅さはどこへやらだ。油っぽくなった唇を舐めつつ感想をもらすと、すっかり上機嫌に出来あがっている斑目三席が空にしたばかりの杯を手に熱く語る。

「だよなぁ。やっぱガーンと脳天に来る味じゃねぇと味って気がしねぇ! だろ!?」

無難にうなずきながらも、繊細なニュアンスと無縁な舌を持っているのは一角だけでなく剣八にも当てはまることだと思う。

…でも、だからって嫌なわけじゃ…

と、剣八の方へ顔を向けたところへ勢いよくやちるが走って戻り、文字通り二人の間に飛びこんだ。

「わーい、ほらっお花だよっ剣ちゃんっ!」

やちるが、ぱあっと手のひらに集めた花弁を空中へ放す。小さな桜吹雪の中の一枚は剣八の手にした杯にもふわりと舞い降りた。

「そうだな。」

やちるほどには感動していなさそうな返事だったが、やちるは満足したらしく、今度はくるりとの方へ向き直った。

「きれいだね。」

撒かれた花弁はの膝の上にも落ちていて、ごく自然にそう言うと、やちるは大きな明るい目での持った椀を見、次に、何を思ったのか頬が触れるほどの距離まで近寄った。

「なっ、なに?」

右手に箸、左手にエビ入りの椀を持ったまま聞くと、やちるが楽しそうに言った。

「剣ちゃんとおんなじ匂いがする。」

それはニンニクと炒め油の匂いで、同じ料理を食べているのだから当然すぎるほど当然のはずが、急に思わぬ花霞みに包まれたようなふわふわした気分にさせられた。

「そんなの、やちるちゃんだって同じ匂いだよ。」

「うんっ! 剣ちゃんといっしょ!」

どこまでも朗らかに言われると自分の方が、まっすぐな感情のままに話し、走り、抱きつくやちるより気恥ずかしくもなる。

「杯、もうひとつもらってくる。」

せっかくの花見で素面でいるのがいけない。酔って取り繕いたいものはそんなにあるわけではないけれど、子供の純粋に不意打ちにされた時の適当な対策が他には思い浮かばない。

「これで飲んどけ」

椀を置いた手に、剣八が杯を差し出した。屋台へ取りに行ったところで、そういくつも用意が無い、という理由もついてくる。

「じゃ、一杯だけ」

無造作に注がれる酒の表面には薄い油の模様が描かれる。もう片方の手も軽く杯へ添えて口元へ運ぶと、瞬間、花見に似つかわしくない周囲の騒ぎも料理の匂いもかき消えて、酒を注いだ屈強な腕や黒い着物、ちょこんと剣八の膝に座ったやちるの髪、かすかに震える自分の息を聞いていた。

「そんな畏まるなよ。たかが、酒じゃねぇか。」

剣八が、そう言いながらふっと吐いた息は笑いを含んでいた。

「だって」

また、どこもかしこも濃厚なニンニクと油の匂いがしていて、酔いにまかせて話す声は遠慮がなくて、花見は二の次の者ばかり集まっているけれど自分だって皆とあまり変わらない。苦笑まじりにあいまいな言葉でつないで杯を返すと、花弁のまぎれこんだエビに再び箸をつけた。








◇06.04.11◇
花が散る前に花見話を読みたくて書きました。料理はハワイの屋台で実際に人気のメニューがモデルです。


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