間隙
そう広くない書庫の中。窓からさしこむ光に埃が舞っている。は白地に赤い蝶が線書きされた浴衣で、長椅子の上に陣取っていた。ただし、ひとりでは無かったのが、いつもと違うところだ。
十一番隊の詰所は、他の隊と同じく執務空間と居住空間に分かれている。居住空間にはが暇さえあれば入り浸っている隊長の私室があり、その近くには書庫、というほどの広さは無いが書物の納められた部屋がある。がっしりした樫の棚は天井まで届き、人一人が通れる程度の通路を挟んで六列並んでいる。あまり大勢が訪れることは考えられていないらしい。部屋に入ってすぐ目に留まるところに長椅子が一脚と、長椅子の向かい低い簡素な机。他には背もたれの無い椅子が三脚ある。棚には鬼道や令法の他、なぜか草木や建築についての書物が見える。
はじめ、時間をつぶすために抜き出された本は、ある時点から机の上へ放られていただけでなく、傍らの長椅子にいる二人の話を聞かされていた。
「それでお腹とか脇の下なんて触られたら、人間ならくすぐったいと思うでしょ?」
は、相手の黒い死覇装を着た膝へ上がりこんでいた。話しながら室内履きを足から落とす。両足とも蹴り上げるようにして剣八の膝へ全体重を乗せ、それから、眼差しをしなだれかからせるようにゆっくりと、相手を上から下へと眺めおろした。
「でも、犬や猫なんかが違うのは」
の視線をすくいあげるように、筋張った長い腕が懐から抜かれて浴衣の袖を指に絡める。
「くすぐったい、なんて嫌がらないで」
無造作に相手の腕へ、鋼で鎧ったような固い腕へ指を滑らせて話しは続ける。
「よろこんじゃうところ。」
言葉を切ったところで、ぐらりと上体が傾いだ。袖をすこし上へたくしあげたあと、剣八の手が肩の上を通りすぎて少し荒っぽく、襟を後ろへ引いたので、勢い、引きずられるような形になる。
「っ、それは、人間と違って羞恥心が無いからで、だから、気持ちがいいって反応しかしないんだって」
身体が傾いたついでにと、腰を捻って体を寄せて、バランスの余った右足をすいと持ち上げてみる。その拍子に乱れた裾がさらさらと湯あがりの肌を撫でて滑り落ちてゆくのが心地良い。
「どうなんだろう。人間も恥ずかしさを無くしたら、きもちいいところばかりになるんだと、思う?」
「さぁ、な。」
聞いているほうは気の無い返事で、ちょうど目の前に差しだされた形の脛へ手を伸ばした。
「それとも、犬が撫でられて気持ちいいのと、人間の悦いのとは、ちがうのかな。」
そう言う間に、ごつごつした掌が、自分の膝の上から腿のほうへ動いてくるのがくすぐったいようなざわめきと、もの寂しいような感覚の波紋を広げる。
「聞いてこいよ」
「だれに」
は、できるだけ相手にぴったりと身体を近づけようと白い羽織の下へ手を潜ませ、黒い布を握りしめる。
「知りあいに犬はいねぇが、狼ならいる。」
「へぇ?」
死覇装に、ふに、と鼻先を押しつけて思う。
たぶん、動物の親子がグルーミングしあう充足感も、より集まって暖かくぐっすり眠る猫達の幸福も、このとろけるような心地とは異なっていることだろう。
ただ、こうして人が二人居ると、それぞれが満ち足りる体温の重ねかたが、互いに折りあわないことはある。
「あ、それって」
こちらから誘った。もう望みは達成しているけれど…。
もし自分が猫ならば、手荒に撫でられてもノドを鳴らしてさんざ甘えて膝の上で眠ってみたい。
「それ、」
軽く笑みを含んで、狛村隊長のことでしょ。とが言いかけたところで、ほぼ何の前触れもなく、すぱーんと軽快な音を立てて部屋の戸が開いた。
どうやら中の会話だけで状況を判断してしまった死神が一人、ごくごく気楽かつ、ぞんざいに開け放ったのだ。
「隊長ーッ! た、いっ…」
消え入るような声とともに、すーっと顔色をなくす。
まず目に入ったのは白い肌。
今まさに剥かれている女と、その脚の微妙なあたりへ添えられているのは鬼より恐ろしい上司の手。
ということは、二人は無論これからあんなことやこんなことを…!!
などと考え進めば、お取り込み中の邪魔をした無調法者! と血の気が引くのもうなずける。
「急ぎじゃねぇなら、閉めとけ」
そうは取り込み中でなかったからこそ、ごく一般的な指示だったが、かなり焦っていた相手は返事もそこそこに力のかぎり戸を戻した。
けたたましい音で閉められた引き戸は、あまりの勢いを消化しきれず跳ね返って止まる。
「あれじゃぁな。」
文字通りから手を引いて、いまいましそうに剣八が言う。
のんびり微笑んだにも、密室を崩す空間は見えた。
◇07.11.04◇
うわー、すさまじく久々の更新となりました。ほぼ一年ぶり!
しかも、一回目のアップでは名前変換タグを挿入し忘れておりまして
大変ウッカリ者な管理人でございました。すみません。
あと、当初のアイディアでは一角さんも登場する予定でした(笑)