一本葛


花は好き。遊びに誘われるのも好き。ただ、わけあって次こそは断ろうと思っていた矢先のことだった。藤を見に行こうと提案されたので待ってましたとばかり「すみませんが、御一緒いたしかねます。」と返したところ、相手は「ええぇぇ〜? 年に一度のお花見だよ!?」などと言う。その、他隊にまでご足労お疲れ様であるところの京楽春水隊長殿の行けしゃあしゃあとした態度に、あたしの中で何かがぷつんと切れた。

「嘘をつけッ!」

言うなり、バンと手にした帳面を勢い良く閉じる。掃除の行き届いていない倉庫の埃があおりをくらって舞いあがった。

「あー…ま、ね。」

勢いと埃を押しとどめるかのように少し上げられた手。言葉を濁した、と思ったけれど

「そりゃボクだって、いくら藤が綺麗な季節だからって当日に誘うのはどうかと思うけど」

あたしはその先を聞かずにそらんじてみせられた。

「”ほらせっかく年に一度の盛りの花は良いもんだし、一番大切な人と見たいじゃないか”…なんて、何度言えば気がすむんですかッ!」

今、あたしの言いたいのは誘いが当日だから突然だとかいうことじゃなく、早春から今日まで梅だ水仙だレンギョウだ桃だ雪柳だ桜だ木蘭だ山吹だサツキだ牡丹だ何だかんだと花が咲くたび誘いに来ているということであり、果たしてこれから一体何種類の花が咲くのか分からないけれど、一つはっきりしていることは、このままなし崩しに付き合えば、この先も朝顔からヒマワリ、露草桔梗南天のたぐいまで御一緒仕らねばならなくなるだろうってこと。

「もういろいろ見に行ったじゃないですか。それに、今日はあたし早めに寝るって決めてるし。」

「藤は特別なんだよ。」

なにが、と今度は死覇装の袖へ舞い降りた埃をはたき落としながら言っていて、仕事中の右手がつかまった。右腕だけが明るい花柄の着物を羽織った左腕に抱かれている。

「愛としと書いて藤の花…ってね、ほら」

い、と、し、とゆっくり言いながら手のひらへ「い 十 し」と縦書きになぞる軌跡は確かにまるで紫の花房のよう。

「花にこと寄せた女の子の唄がある。知ってたかい?」

左手に帳面、右手はとらわれのまま首を横にふる。すると、春水さんはしげしげとあたしの手のひらを見つめてから、やめてと言うのに、右手にもうひとつ藤を書く。

「い と し…と。ね、もひとつ。」

風に紫が濃く浅く揺れる。爽として綺麗だ。なんて続けつつ、またひとつ透明の花を手に書きつける。

「いやだ、くすぐったい…」

と、手首まで侵攻しようとする藤の花房から逃げるように手を引っ込めようとしながら、あたしは特に錠を下ろしてあるわけでもない倉庫の、木でできた戸へ目を走らせた。でも、誰か来たらどうするの、なんて言ったところで笑われるのがオチだろう。というのも、ちょっと霊圧の読める死神ならわざわざ地雷を踏みそうな場所へは近寄らないからだ。

「花を、見に行こう」

ひらひらと同じ字を書く指に段々と、この程度で追い詰められるのが嫌で答えずに右手をぐいっと引きもどそうとする。ただ、あいにくそれは全部上から見おろされている。あたしの歩幅の詰まりがちになる足元までも見透かすような、藤蔓に似て強靭に剣呑な色を浮かべた目で春水さんはえらく真面目な口調でこう言った。

「うん。ここでこの、花見ってのも…乙かねぇ」

「何言って…あ!」

それはと抗議するため反らせた顎の下へ、指はあたしに見えない三文字を書いて、そのまま喉にそって滑らせながら、まだ描かない藤の花をあたしの鎖骨や胸の上へ見ようなんて、そういうのは花見じゃないし、そういうところがオヤジなの! このどうしようもないオンナ好きめ! と次々思う、なのに、絶対どこまでも正しいあたしから共犯の後ろめたさが言葉を奪う。左手にしている帳面はじりじりと汗に焙られて熱くなる。










◇2006.05.11◇
題の一本葛は京楽隊長のイメージにぴったりはまる、次の歌から取りました。
「美女打ち見れば、一本葛ともなりなばやとぞ思ふ、
 もとより末まで縒らればや、斬るとも刻むとも、
 離れ難きはわが宿世」梁塵秘抄
そして「藤の唄」とは長唄で有名な「藤娘」です。




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