波の寄せては返す音がする。
 此岸から見えるは、瀬戸内の荒れ模様。

 ”舟に女はご法度だ。
  お前は陸(おか)で待ってな。”

 「なんじゃ…ありゃぁ…」

 一人の古老がかすれた声で言った。
 皆して小高い場所から、戦の行方を見守っていた中、海が裂け巨大な戦船が干し上げられたのだ。


  澪 標


 海が、炎も富獄も、ふたたび全てを覆ったあと、居合わせた者たちは一様に黙りこみ、一人、また一人と、地面にへたりこんだ。

 私もまた、茫然と海を見つめていた。
 と、ひとつの明るい点のようなものが、風に流されそうになりながらも、よろよろとこちらへ向っていることに気づいた。近づくにつれて、橙色の羽が見えた。そう時を置かず、差し出した両手に見慣れた鳥が羽を散らしながら落ち、一声悲しげに啼くと、ぐったりと頭を垂れて動かなくなった。

「こいつぁ、お頭の…」

ちゃん、あんたのとこに戻ってきたかったんだ…ねえ…」

 慰めるように言われて、そこで、ようやく私の目から涙があふれ、とめどめなく頬を濡らした。

 鳥は、羽を休める肩をなくしたのだ。

「どこ行くんだい!」

 私は、止める声も聞かず、鳥を抱いたまま駈け出した。 

 天下を狙わぬ人でもかまわなかった。
 ただ生きていてくれれば、私を想わぬ人でもかまわなかった。

 皆も待っていたのだから、帰ってこなければいけなかったのに。

 走って走って、海竜王を祀った祠の前に辿りつくと、中に鳥を寝かせ、履物を脱いで手を合わせた。

「海をおさめる龍王さま、どうぞ、長曽我部元親をいま一度
 この世に召し返してくださいませ。
 あなた様には、我が命を供えますゆえ。」

 浜へ向い、一歩一歩海へ入る。
 潮の冷たさも、死のおそろしさも、願いを成就させるためと思えば、歩みを止める理由にはならなかった。




 ……遠くから、波の音が聞こえる

 …鳥のさえずりも

 風の吹くたび、顔に当る乱れ髪。
 目を閉じていてもわかる明るい日の光。
 ゆっくり目をあけると、抜けるように青い空がまぶしく広がっていた。

「…え…そんな…」

 はじめて見たような空の青さに心打たれたあとで、じわじわと挫折感と絶望がこみ上げてきた。

 こんな場所で目を覚ませるということは、入水したものの、誰かに救い出されて命を拾ったのだろう。
 がっかりして、ゆっくり体を起すと、近くの木に派手な衣に銀の髪の男がむっつりともたれていた。
 見間違うはずもない。

「…あ、元親…よかっ…た…」

 みるみる、視界が涙でぼやけていく。
 耳に、地獄の底から響いてくるような低い唸り声が聞こえる。

「おい、

 たぶん、彼の気性からすれば「勝手なことを」と怒り心頭なことだろう。でもかまわない。
 たとえ、怒りのあまり殺されようと。

「よかっ…た…ほんとに…」

 元親が生きていてくれれば、他に望むことはない。
 袖に顔を埋めて、嬉し涙に暮れていると、その腕を強く引かれて引き寄せられた。

「おいこら、いい気になって泣いてんじゃねぇ!
 ……こっちの気が、削がれちまう。まったく、おまえってやつぁ。」

「何言ってるの。怒っていいよ。怒って当然。
 私の、わがまま…だも…」

「おまえは、大事な、たった1日を泣いてすごしてぇってのか?」

「1日だけ? 元親が?」

 きょとんとする私に、元親は、なんだか悲しそうな、困っているような、複雑な表情を浮かべた。

「聞いてねぇのかよ。」

「何を」

「あのな。おまえも俺も、1回死んだヤツをホイホイ生き返らせてちゃ、あっちこっちで決め事が破られちまう。
 そうなりゃ困るのは、結局、人間なんだとよ。
 海の龍王とやらが言ってやがった。」

「じゃ元親、生き返ってないの!?」

「あぁ。」

 潮風が、たっぷり時をかけて私達のあいだを吹きぬけていったあと、言いだしにくそうに、元親が口を開いた。

「おまえがバカやったぶんは、先の世にツケとくってよ。」

 首をかしげる私に向って、はじめは噛みつくように勢いよく、そして、だんだん口ごもるように先を続けた。

「だから、何人敵を殺ってようが、戦で死んだ俺と、寿命があんのに自分から死にやがったおまえとじゃ…罪の、重さが段違いだ。
 そこを、あいつは”娘の、そなたを想う心に感じ入って”どうこう…だの、…ずらずら恩着せがましい御託を並べやがって…」

「元親。罪が重いから…のつづき、よくわかんなか…っ」

 言い終わらないうちに、私は息がつまるほど強く抱きしめられた。
 不思議なことに、今までで一番、心の底から生きている気がした。

「ごめんね。元親。
 …でも、好きだよ。」



 こんなふうに、顔をしっかり見られないときにばかり、元親は一番やさしく私の名を呼ぶ。
 そうされると私は、いつもの癖で、ついはぐらかしたくなる。

「考えたら、1日って長いよ。  何する? 元親は何がしたい?  泳ぐ? 魚つり? それとも…」
 私の顎をつかんだ手が、すいと親指をのばして唇を撫で、言葉を途切れさせた。

「変わんねぇなぁ」

 私は、そっちこそ、細めた瞳が別れる前と少しも変わっていないと思いながら、微笑み返した。
 私達は、きっとこれからも、幾度となく離れたって、最後はお互いのところへ戻ってこれるんじゃないだろうか。

 そうして私達は、見えない糸を絡めあうように互いの瞳を見交わし、波の下で、二枚貝がゆっくりと殻を閉じるように、唇を重ねた。








 2010年夏。
 私は、お盆休み明けで早めに仕事を終え、梅田を歩いていた。ここは、いつだろうと容赦なく人の波でごったがえしている上に、暖房を入れているのかと思うほど暑い。

「もう秋物が出てるんだけどなぁ。」

 店の中も混んでるよね、と思いながら歩いていると、人の流れが避けている場所を見つけた。こんな時は、危険そうな人がいるんじゃないかと警戒してしまう。

 そこには、一目で怪しい男が立っていた。
 遠目に見ても背はかなり高く、派手な紫のジャケットを羽織り、肩には原色のオウムっぽい鳥が乗っている。これだけでもかなり奇妙だが、極めつけは左目を覆う眼帯だろう。

「うおっ、海賊か? …いや、ないわー。」

「なぁ、目ぇ合わせたらヤバいって、絶対。」

 そう言いながら、まわりの通行人は次々進行方向を修正していく。
 ところが、私の足はそのまま、まっすぐ怪しい男の方へ向った。
 近づいてみると、男は携帯片手にイライラとガイドブックをめくっていた。

「トリが動物に入んのかよ。そんなこたぁ書いてねぇだろ?
 …あぁ、そうかよっ!」

 怒鳴るなり携帯を握り潰さんばかりの勢いで切ると、チッと舌打ちする。
 私はその様子を、相手まで数歩しか離れていない所で、ぼんやりと眺めていた。
 なぜか、とても見慣れたものを見ている気分で、絶対に初対面なのに、昔から知っているような親しみを感じる。
 見ているうちに、なんとなく楽しくなって頬までゆるんでくる。
 男のほうも、私に気がついたようだ。

「あぁん? 見せもんじゃねぇぜ。」

「えーと、何か困ってるみたいだったから。」

「…宿を、探してるだけだ。」

 あて推量は当ったようだ。
 鳥と泊れるホテルは多くない気がする。

「見つかりそう?」

「これから見つけんだよ!」

 声を大きくした拍子に、バサバサッとオウムが肩から飛び立った。

「あ!」

 二人して見上げた鳥は、ふうわりと私の腕へ降り、バランスを取りながら肩へとよじ登ってきた。

「わぁ可愛い……ね、私の家に来る?」

 じっとオウムを見て言うと、さっきは威勢の良い口を叩いた男が、一転して焦りをにじませた。

「おいおい、あんたのじゃねぇだろ。返せよ。」

「せっかく会えたのに?」

 ちなみに、今までオウムを飼いたいと思ったことなんて一度も無かった。
 どうして、この一言が口をついて出たのか、今もわからない。
 ついでに言うと、なぜ、そこで二人の間に、何て言ったらいいか表現しにくい沈黙が流れたのかも。

 居心地が良いのか悪いのかわからない空気を破るためにも、提案した。

「そうだ。うちに泊れば?
 私の部屋、鳥のエサになりそうな物無いし。」

「あんた、本気かよ?」

 普通、面くらう立場が逆じゃないかな、と思いながら、私は軽い足取りで、不思議なお客と一緒に歩き出した。






◇2010.8.22◇
 現代エピローグをつけようか迷った挙句に、つけました。
 アニメ『戦国BASARA弐』のおかげで書けた1本です。





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