は、お母さんの言いつけを守って寄り道せずにおばあさんの家に行くことにしました。

 通い慣れた森の中の道をしばらく歩くと、おばあちゃんの住んでいる木の小屋が見えてきます。
 優しくて、物知りで、お団子に結った髪型が良く似合う桃おばあちゃんにもうすぐ会えると思うと、の足は自然に速くなりました。

 戸の前で、籠を持ちなおしてからノックします。お茶の時間には、ケーキを焼くお手伝いをしたことも話そう。おばあちゃんの作った果物のジャムも一緒かな? と思っているところへ、家の中から「どうぞ」と低い声がしました。

……あれ?

 いつもなら、すぐに戸を開けて顔を見せてくれるのに、どうしたのでしょう。は急いで家に入りました。
 部屋の中はお昼を過ぎているのにカーテンが引かれていて、薄ぼんやりとしています。それに、火の気がなくて冷んやりした空気は、いつもの暖かい部屋と違っていて、一歩進むこともなんだか怖いような気がします。それでも、奥の部屋まで歩いていって中を覗くと、ベッドの上には知らない狼さんが腰掛けていてに笑いかけました。

「いらっしゃい。赤頭巾ちゃん。」

 にっこりと細められた瞳も、口元も、たしかに笑顔の部品です。それなのには、ここでくるりと背中を向けてしまいたい気持ちに駆られました。でもそうしなかったのは、優しいおばあちゃんのことを聞かなくてはいけないと思ったからです。

「…こんにちは。あの、」

 誰? というように、名前を知らない相手を探るように見ると、狼さんが親しげな声で言いました。

「ボクはギン。たぁった今、赤頭巾ちゃんのおばーさんを食うた狼や。」

 そう急に言われても、頭の中で言葉と言葉がつながる時間がかかり、その後からじんわり驚きや怖さが広がった後も、赤頭巾ちゃんはその場に固まったように立っていました。
 の中では色々な考えが、ぐるぐると渦巻きます。

…どうしよう、怖い、狼は人を食べるって聞いてたけど、 …おばあちゃんが、食べられたなんて、そんなの…
……でも…でも、狼が、今って……え?……

 どこかで、木のささくれに布が引っ掛かったように、波と押し寄せていた考えが止まりました。

…何か、変。

 は、ベッドサイドに置いてある小さな台の上を見ました。その上には、今は使い古されたランプがひとつあるだけです。

…あ…無い!…

 間違いなく、一旦は言われたことに動揺していたはずなのに、逃げるでもなく、声を上げて泣きだしもしないを見て、狼さんは少しじれったくなっていました。
 狼のギンは、女の子を少し脅して「おばあさんが狼に食べられてしまった」という事件の第一発見者にする予定だったからです。本当は、おばあさんが別の理由でここへは戻ってこないということは、小さいようで、とても大きな秘密です。ギンは、そっとベッドから立ちあがってのすぐそばまで行くと、覆い被さるように腰を折って冷たい微笑みを近づけました。

「はよう逃げんと、ついでに食べてまうで?」

 が恐怖に凍りついていたなら、ギンの言葉を聞き終わらないうちに逃げ出していたでしょうが、その足を止めていたのは別の気持ちでした。

「おばあちゃんは、どこへ行ったの。」

 そう聞いた声は、かすれていました。屈みこんでいる狼さんのせいで、周りがさっきより暗くなった気がします。
 狼さんは、最初と同じ調子で口を開けました。

「ボクが、食うた。」

 ゆっくりと刻みつけるように言われても、それは本当ではありません。嘘か本当かは分かります。ただは、嘘を言う人に真実の在りかを聞くことが、時によってどれほど危ないことかは分かっていませんでした。

「あの本も、食べたの?」

 嘘つき。と、の目は言っています。狼さんは、かすかに眉を寄せて体を起しました。

「ベッドのそばに置いてあったの。おばあちゃんの一番大事な本が。」

 本には色を失っていない花のしおりが挟んであって、とても大切な人から贈られたものなのだと、おばあちゃんから話してもらったことがありました。

「嘘は言っちゃいけないのよ。」

 籠を持っている指には、知らず力が入っています。

「嘘は、あかんの。」

 やんわりと狼さんは聞き返しました。狼さんのまわりには、嘘がいけないなどと言う人は一人もいません。大人なら嘘を使いこなせて当然だと思う人と、もう狼さんのことは救いようのない悪者だと思いこんでいる人のどちらかだからです。
 そのせいか狼さんは、もの珍しい意地を張る相手に、うんと意地悪をしたくて堪らなくなりました。

「そうよ。嘘を言っても、神さまがみんな知っていらっしゃるの。いけないことだって決まってるわ。」

「神さま?」

 にとっては心から信じている重いお話でしたが、狼さんは、くっ、と鼻先で笑いました。

「ボクの知っとる神さまは、そんなん言わへんよ。」

 嘘も、偽りも、謀事さえ咎められることは無く、それが神さまのためになることなら何でもして良いのだと、狼さんは言いました。

「そんな神さま、ほんとの神さまじゃない!!」

 それも嘘に違いない、と言う子供を追い詰めるように、もう二言三言追加します。

「ほんまもなんも、たくさんの人に”神さまや”て認められとったら、それが神さまの資格やない。キミのおばあちゃんかて、ボクとこの神さまを信じてんねで。」

 ぞっと、背筋が寒くなるような笑みを浮かべて狼さんは言いました。

「違うもん!! おばあちゃんは、絶っ対、そんなんじゃない!」

 ずっとこの小屋に住んでいたおばあちゃんを、狼さんよりよく知っているのはの方に違いありません。おばあちゃんが優しいことも、大切にしていた物のことも、狼さんの嘘に気がつけるほど、よく知っているのだと思うのに、胸の中には不安な気持ちが雨雲のように広がります。

「ほんなら、やさしゅうて、嘘もつかんおばーちゃんは、なんで可愛い孫になぁーんも言わんと消えるんやろ。」

「それは……」

 そう聞かれると、今まであったことから出せる答えは赤頭巾ちゃんの中には、どう頑張っても見当たりません。

「……わかん…ない」

 はとても悔しくて、ここには信じている神さまどころか、おばあちゃんも居ないことを思うと、じん、と目もとにこみあげてくるものがありました。

「あぁ、わからんのやったら分かる人に聞いたらええだけや。」

 そう言うと銀色の狼さんは、つい今しがたまで、あれほど執拗にだけを見ていたとは思えないほどあっけなく、体をひるがえして横を通りすぎて戸口の方へと歩いて行きます。

「…でもっ、誰に?」

「ボクはこれから帰らなあかんの。」

 まるで誰か他を探すように言い聞かせているみたいです。そのまま、どんどん狼さんは歩きます。帰ってゆく先には、狼さんが信じる神さまがいるのでしょうか。それから、もしかしたら? と思うやいなや、は走りだし、ちょうど狼さんが戸を押し開けたところでつかまえました。

「待って! あたしはおばあちゃんに会って、ちゃんと聞きたいの。」

 なぜ、突然居なくなってしまうのか、嘘を許す神さまなんて本当に居て、しかもそれを信じているのか、それを聞くためには、この嘘つきな狼さんについて行かなければなりません。

「だからっ…お願い。あたしも連れて行って。」

 ギンは、いつもの笑顔の下に会心の笑みを隠していました。この女の子は、まだまだイジメ甲斐がありそうでしたし、一体いつまで「嘘はいけない」なんて意地を張ってくれるのか、という興味も湧いてきていたのです。
 そんな気分が、騙されてくれないなら一口に食べてしまう、という方法より、ずっと手のかかる遠まわしな罠を選ばせたのでした。さあ、後はいよいよ仕上げです。

「ええよ、ほな早う行こ。」

 早く、という所につられるように肯いたの澄んだ瞳には、太陽の光を受けて雪のように輝く狼さんの毛並みが映っていましたが、それが予想以上の満足を狼さんにもたらしていたことまでは、には知りようがありませんでした。






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