赤頭巾ちゃんは、すこし迷ってから、赤いお花の咲く道を通って行くことにしました。
木陰の道は涼しくて、どこかから小鳥が鳴き交わす声も聞こえてきます。あたりのお花を2本か3本摘んで、ケーキと一緒に持っていったらどうかな? と、少し歩く速さをゆるめたときでした。
お花のほうを見ていたせいかは運悪く石につまづいて、あっという間に転んでしまう! …と思ったのも一瞬のこと。誰かがタイミング良く後ろから支えてくれました。
「あっぶねぇな。おい、平気か?」
「はい! ありが…とう…」
ちゃんとお礼を言うつもりだったのですが、助けてくれた相手を見てしまっては、声から元気が逃げだしたのも無理はありません。
赤頭巾ちゃんと、今、とても近くで向きあっているのは不思議なオレンジ色の毛皮の狼でした。その眉間にシワを寄せた狼さんは、名前を黒崎一護と言いました。
「花、探してんのか? なら、この奥にもっといろいろ咲いてんぞ。白とか青とか。」
ぽわん、と綺麗な花束が手の中にあるところが思い浮かびました。が、あわてて赤頭巾ちゃんは首を横に振りました。大人たちから、狼は人間を食べたり、だましたりする怖い生き物だと聞いています。
「いえっ、もうおばあちゃんのところに行かないとです!」
「へえ、おばあちゃん」
狼さんはちょっと興味をひかれたようです。は、狼さんに納得してほしかったので、一生懸命、この道をずっと行くとおばあちゃんが住んでいて、ワインとケーキを届けに行くところだと話してしまいました。
「じゃ、花の咲いてるとこは…聞かねえか。」
話を聞き終わった狼さんは静かに言いました。
でも、眉間にはさっきよりも深いシワが刻まれています。
……お、怒ってる…!!
この狼さんは別に怒っていなくても、こんな表情をするクセがあるだけでしたが、初対面の女の子には、それはそれは大変な威圧感を与える顔でした。
は狼さんに背を向けたとたん、怒りにまかせて頭から丸かじりにされるんだろうと思いました。なんとか無事にお別れするには一体どうすればいいのでしょう。
「あのっ…お花の咲いてるとこって、近くですか? ちょっとなら、よりみちしても…」
一応、場所だけ聞いて行くふりをすれば狼さんも満足するはずです。
「あぁ、そこの奥にでかい樫が見えるか? あの左を…」
赤頭巾ちゃんの計画はうまくいきそうです。
ところが、樫の木のそばまで行って振り返ると、狼さんは、まださっきの場所で腕組みをしてこっちを見ていました。これは、こちらも気合を入れてお花の咲いているところを目指すふりをしなければいけません。
教えてもらった道を忘れないように気を引き締めると、は森の奥を目指して歩き出しました。
「よし。」
赤い頭巾がとてもよく似合っていた女の子が見えなくなると、狼さんは素早く「おばあちゃんの家」とやらを目指して駈け出しました。
「なんつーか、あいつ食っちまうのはな…」
実は狼さんの家には、お土産を待っている妹が二人います。
さっきの子は、どこか妹達とイメージが重なったせいか、狩るのは気が進みませんでした。でも一方で、兄としてはできるかぎり大きな美味しい獲物を持って帰りたいとも思います。
「おばあさんにしとくか!」
かわいい妹たちのためなら、すこしぐらいの罪悪感は乗り越えてしまえる狼さんでした。
「おっ、この家だな。」
早くも、狼さんはおばあさんの住む小屋を見つけました。
戸を叩くと、軽い足音がパタパタと近づいてきます。
そのまま無防備な住人は、知り合いの女の子が訪ねてきたものと、あっさり戸を開けてくれました。
「「………」」
…ん?
戸口で向きあった両方の頭の上に疑問符が浮かびました。
一人と一頭がお互いを不思議そうに見つめていたころ、赤頭巾ちゃんは仲良しの猟師さんに、じっくりお説教されているところでした。
赤頭巾ちゃんと並んで歩いている猟師さんは、とても真面目な固い声で話しています。
「まーったく。アタシが通りかかんなかったら道に迷って帰れなくなってたトコっスよ?」
「ごめんなさい。喜助さん。」
うつむいて謝っている赤頭巾ちゃんには、猟師さんが今にも目を細めて優しく微笑みそうな顔をしているなんてことは分かりません。
というのも、猟師さんにとって赤頭巾ちゃんは赤ちゃんのころから知っていて、しかも大人になってからも一番近くでその幸せを守りたい、たった一人の女性だったからです。
その上この猟師さんは、そんじょそこらの若造とはケタ違いの場数を踏んだ、十分すぎるほどの「おとな」だったので、簡単に表情をコントロールすることもできました。
"おばあちゃん"の家へ向う道を歩きながら、ともすると緩みそうになる頬を引き締めて、お花摘みに行きたいなら今度絶対二人だけで! と念を押そうとしたときです。
何に驚いたのか、小鳥たちがバサバサッと羽音もせわしく飛び立ち、ざぁーっと森の上の方の枝が揺れました。
ついで頭上に強く吹きつける風のような気配が押し寄せます。
の背中が急にぞっと冷たくなった気がしました。
「きすけさ…」
心細くなってすがるように手を伸ばすと、ぜんぶ言い終わらないうちに地面から足が浮くほど勢い良く抱き寄せられました。
だれもが息をひそめているような静まり返った森の中。その微かな音を聞き取れたのは、猟師さんがとても真剣な目をそちらの方へ向けていたからです。
ドドドド……
はじめは、とても遠かったのが、どんどん近づいてくるようです。
「あっ」
猟師さんの革の上着にしがみつくように寄り添っていた赤頭巾ちゃんが見たのは、すごいスピードで必死に走ってくるオレンジ色の狼さんと、それを追いかけてくる、よく見慣れた人でした。
「おばあちゃん!」
赤頭巾ちゃんの嬉しそうな声に覆いかぶせるように狼さんが怒鳴ります。
「バッカヤロォオォッ! どっ、こっ、がっ ”おばあちゃん”だっ!!」
目の前に狼さんがガガッと地面を削り、土煙りを上げて止まりました。ひどく汗をかいているのは、走ってきたせいだけではないようです。
「”おばあちゃん”じゃねえだろ、あんなモン!! フツーはなあッ」
は怒鳴りつけられて黙りこみ、目を大きく見開いて、いよいよ強く猟師さんの革の上着を握りしめました。
狼さんはというと、自分を追いかけてくる相手がとんでもなく恐ろしいモノだったので、絶対に、どう考えても目指す家を間違えたに決まってると思いこもうとしていたところでした。
「ちょろちょろ逃げてんじゃねえよ。ハナから俺がてめえの探してる“おばあちゃん”だっつってんだろうが。」
「あんた女ですらねえだろッ!?」
狼さんに追いついたのは、通称「森のおばあちゃん」こと更木剣八さんでした。
背は2メートル近く。ところどころの裂け目が目立つデニムのズボンに、ざっくりとしたリネンのシャツを無造作に羽織っています。目は闘志に輝き、牙かと見紛う歯列をのぞかせる口元は獣じみた好戦的な笑みで吊りあがり、耳まで裂けているかのようです。
「でも、みんな、おばあちゃん…って…」
恐る恐る口を挟んだものの、狼さんにギロリと睨まれた赤頭巾ちゃんはビクッと震えて黙ってしまいました。
猟師さんはすかさずを抱き上げると、しばらくは怖いものが何も目に入らないように腕に力を入れました。
「あーあー、こぉーんなコドモ相手に大声出して、わぁっるい狼さんっスねえ。…ま、なかなかイキは良さそうだ。」
最後の言葉はトーンを落とし、狼さんの後ろに立っている“おばあちゃん”へ向けられていました。訳知り顔で鋭い目つきの猟師さんを前にして、狼さんはだんだん訝しげな顔になっていきます。
「…お前らグルなのかよ?」
ふふん、と軽く笑って猟師さんが疑問に答えます。
「たまーに、いるんですよねえ。森で一番弱い人を狙うような、悪い奴が。」
後ずさろうとした狼さんの背後から“おばあちゃん”が、いかにも楽しそうにつけ加えます。
「こっちが退屈しねえ奴が来るなら呼び名なんぞなんだって良いんだよ。」
猟師さんはつい今しがたまで狼さんを殺気のこもった目で見据えていたのに、打って変わって、いかにも親切なご近所さんの顔に戻りました。
「けっこうけっこう! アタシも頭を絞った甲斐があるってもんスよ。」
「なっ!」
つまり、全部こいつが考えやがったことなのか、そして自分は確信犯に取り囲まれて絶体絶命なのか…と狼さんは一瞬目の前が暗くなりました。
「おい、なんかあいつのほうが…こう、強いんじゃないのかよ?」
今や猟師さんは、ここぞとばかりに赤頭巾ちゃんの頭を自分の胸元に押しつけて、ぽんぽんと親切そうに軽く背中を叩いてやったりしています。
一見、正しい保護者に見えるのですが、狼さんは、さっき見据えられた時の鋭い眼光を覚えています。それなのに自分が感じていることを何と言い表していいのか分からないのがもどかしいです。
「知るか。てめえが会いに来たのは俺だろうが。」
そうです。ともかく生き残って妹達に再び会うためには、そして諸悪の根源を倒すためには、まず目の前の“おばあちゃん”のニックネームを持つ敵をなんとかしないといけないのです。
「…くそっ……」
最終目標のために覚悟を固めた狼さんを確認すると、猟師さんは戦い好きな“おばあちゃん”の邪魔にならないように、さっさとその場を離れました。
「ちゃん、苦しくないっスか?」
しばらくして、は気づかわしげな猟師さんの声で、やっと顔を上げました。もう、“おばあちゃん”たちからは遠く離れています。
「はい! だいじょうぶです。」
ほっとしてお礼を言うと、猟師さんは嬉しそうに微笑んで、もう一度ぎゅっと抱きしめてくれました。
そうされると、革と火薬の匂いに包まれます。
ときどき、が猟師さんの近くにいるだけで、なんだか安心してしまうのは、抱きしめてもらう時と同じ匂いに近づくからかもしれません。
今はじめて気がついたことについて考えながら、は猟師さんの横に並んで歩きはじめました。
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