赤頭巾ちゃんはいそいそと川沿いの道へ向いました。
今日は友達と待ちあわせて、二人でおばあちゃんの家に行く約束をしています。
でも、これはお母さんには秘密です。
というのも、友達は狼だからです。
大人はみんな、狼なんて嘘つきで乱暴で、すごく危ないと言うけれど、赤頭巾ちゃんの「友達」は違います。
いつも落ちついていて物知りで、とても優しい狼です。
「おばあちゃんも会ったらわかるわ。それから…他の人にもお友達だって言えるよね。」
軽い足取りの赤頭巾ちゃんは、やがて川のほとりで待っている友達を見つけました。離れていても、その白銀の毛皮は輝くよう。まわりの木の緑に映えて綺麗です。待ちきれずに、赤頭巾ちゃんは川面を眺めている友達を呼びました。
「冬獅郎くーん!」
狼さんは、名前を日番谷冬獅郎と言いました。
狼さんが声のした方を見ると、よく知っている女の子が嬉しそうに手を振っています。今日も、咲いたばかりの花のような笑顔です。
場所を決めておいたとはいえ「待ち伏せ」は成功だな、と狼さんは思いました。この女の子のような頭の良い獲物は、怖がらせないことが大事だからです。
二人で並んで歩き出すと、赤頭巾ちゃんはいつものようにおしゃべりをはじめました。
「これ、おばあちゃんに持って行くケーキなの。」
「が焼いたのか?」
「えっ!? あ、ちょっと手伝ったけど、ほとんどお母さん。」
狼さんはずいぶん前から、このツヤツヤした美味しそうな子を、タイミング良く食べるつもりでいます。ちゃんと話をするのも相手を油断させるため。なぜなら、相手のことは知れば知るほど役に立つのです。
でも、あんまりそう思っていたせいか、この前は、ついうっかりお互いのおばあちゃんの話で盛り上がり、気がついた時には、あたりが薄暗くなっていました。
あの日、森から赤頭巾ちゃんを家の近くまで送って行ってやったのは、絶対に親切なんかじゃない。もし他の狼にさらわれたりしたら危ない…いや、もったいないからだ! と狼さんは考えています。
何しろ狼さんは、今まで一度だって狙った獲物を逃したことはないのです。
「最近こっちへ来たんだよな。」
「うん。ずっとお仕事が忙しかったから、ゆっくりしたいんだって。」
人間は年をとると仕事をやめるそうです。
森の中で静かに一人で暮らすおばあさん。ある日、急に居なくなっても気づかれにくいのではないでしょうか。
だったら、先におばあさんを襲うのもアリかもな。と、狼さんは考えました。話を聞いていると、大体どのあたりに家があるかも分かってきました。
「冬獅郎くんは、ずっとおばあちゃんと一緒なんでしょ。」
「…ああ。」
「いいな〜」
心からおばあさんと過ごすのを楽しみにしている赤頭巾ちゃん。
もし、その目の前でおばあさんを傷つけたりしたら…?
きっと、それはそれは悲しむことでしょう。
そんな可哀想なことは絶対にできない! …というか、そんなことをしたら二度と会ってもらえなく……いやいや…、そう! 警戒されてしまったら今までの苦労が水の泡!
そこが一番重要だ! と、狼さんは一生懸命、混乱しかけた頭の中を整理しました。それから、何気ないふうに籠の中へ目を向けて、ひとりごとのように呟きました。
「ワインにケーキか」
赤頭巾ちゃんは、何だろう? と首をかしげました。
「なんか花があったら、完璧だな。」
確かに、きれいな花束があったら素敵です。でも、賛成しかけた赤頭巾ちゃんは困った顔になりました。
花の咲いている所は、ちょっと離れています。
「遠くまで行ったら遅くなっちゃう。」
「近くに咲いてるとこ、あるぞ。」
さすが狼さん。森のことは詳しいんだ、と赤頭巾ちゃんは思いました。それでも、どうしようか迷っていると、親切にこうも言ってくれました。
「よし、籠は先に持ってってやる。俺のほうが、より足も速いからな。」
狼さんは、赤頭巾ちゃんを花畑へ案内してくれたあと、一足先に籠を持っておばあさんの家に向ってくれると言うのです。
「冬獅郎くん、ありがとう!」
赤頭巾ちゃんはお礼を言って、狼さんについて行きました。
一歩森の中へ入ると、人の作った道はなくなります。うっかりすると迷って帰れなくなるそうですが、狼さんと一緒だから大丈夫。
木々の間を縫うように歩いてゆくと、突然、小さな広場のような、ひらけた所へ出ました。昔は建物があったのか、古びた石の柱が何本か、草にうずもれるように倒れています。
そして、そこらじゅうに赤や白の花が夜空の星のように咲いていました。
「わあ、きれい…」
赤頭巾ちゃんは、初めて見る場所に見とれました。
かすかに小鳥の声が聞こえて、木々のざわめきにまじります。
それに誰かが「ゴホゴホッ」と咳をする音も。
「え?」
振り返って狼さんを見ましたが、狼さんも怪訝そうな顔で、あたりを見回しています。
「…ゴホッ……うう」
「あ!」
倒れた円柱の向こうに、だれかの手が見えました。
赤頭巾ちゃんは急いで駈け寄ります。
「猟師さんっ!」
柱の影には、白い長髪の男の人がぐったりと横たわっていました。
「猟師? こいつが!?」
狼さんは今まで、こんな猟師さんを見た覚えがありませんでした。それもそのはず、猟師の浮竹十四郎さんは病気がちで、仕事をお休みしていることが多かったのです。
「あたし、おばあちゃんを呼んでこなきゃ。」
持っていた籠を置くと、赤頭巾ちゃんはきっぱりと言いました。
「冬獅郎くんは、猟師さんを見ててあげて。」
「おい、俺は」
「だめ! おばあちゃんは冬獅郎くんのこと知らないもん。」
「あぁ、そうか…って、オイ!」
みるみる来た道を遠ざかっていく赤頭巾ちゃん。
これでは、赤頭巾ちゃんのいない所で一人暮らしのおばあさんを襲う計画が…、と狼さんは眉をきつく寄せました。
それに猟師は狼にとっては、敵です。
「う…し…」
「牛? あんた、あんま喋んじゃねえ! じっと寝てろ!」
一生懸命話す狼さんですが、相手は肘で這ってジリジリ近づいてきます。
狼さんは危険を感じて、素早く後ずさって様子を見ました。
「白い…なん…て……すごい」
息が苦しいらしく、途切れ途切れに話すので、よくわかりません。
一体なにが言いたいんだ? と用心深く考えていると、急に猟師さんが咳こみました。
「ゴホッ…ウッ…ゲホゲホゲホッ」
「っ、だいじょうぶか?」
激しく咳こんだ猟師さんに、思わず駈けよって顔を覗きこみました。口に当てた布に、赤いものが滲んでいて、どうにも苦しそうです。
「静かにしてろよ…」
しぶしぶ相手の背中をさすって待っているうちに、狼さんの耳が、何頭もの馬の駈ける音を捕えました。だんだん近づいてくるようです。
「冬獅郎くーん。」
間もなく、広場に颯爽と3頭の馬が駈けこんできました。
赤頭巾ちゃんは、先頭の白い馬に、長い黒髪の女性に乗せてもらっていました。
後ろからもう二人ついてきています。
「なんだ…?」
目をパチパチさせている狼さんの前で、黒髪の女性がひらりと馬から降り立ちました。若々しい穏やかな顔立ちで、長い髪は後ろで太い一本の三つ編みにされています。
「、猟師さんは?」
「すぐそこよ、おばあちゃん。」
「おばあちゃん!?」
「まあ、お友達?」
ちらりと微笑んで、テキパキ応急処置に入る女性は、ぜんぜん元気いっぱいで、髪もつやつやしています。
「卯ノ花先生! 手袋どうぞ!」
「勇音、薬箱から…」
いつの間にか助手二人が加わって、静かだった森の空気はがらりと変わっています。
「…のおばあちゃん…て、医者なのか?」
話が違う! という動揺を隠して、狼さんは聞きました。
「うん! 大きな町の、お医者さんだったの。
でも、お仕事がすごく忙しいから帰ってきて、森で疲れた人にゆっくりしてもらう場所を作るのが、今の目標なんだって。」
「それじゃ、いっしょにいる奴らは?」
「おばあちゃんと住んでる助手の人。」
一人暮らしでもなかったということは、計画が、最初から考えなおしだ、と思うと、狼さんはとてもショックでした。
狼さんが黙りこんでいるうちに、手当てをしてもらった猟師さんは、少し気分が良くなったようです。
猟師さんはしみじみとお礼を言いました。
「おかげで助かったよ。」
「俺はべつに、礼を言われるようなことは…」
「いやいや、君がいなかったら誰も見つけてくれなくて、ずっと一人で倒れてたぞ。」
「ほんとうに。」
赤頭巾ちゃんのおばあさんも、とても優しい笑顔で狼さんを見ています。
「君は見たままの、白くて良い狼なんだな。」
それは違う! 決めつけるんじゃない! と言う前に、赤頭巾ちゃんが狼さんに飛びついて、ぎゅっと腕を抱きしめて言いました。
「はいっ! 冬獅郎くんは、すっごく良い狼で、
物知りで、やさしくて、…あたしの大好きなお友達です♪」
狼さんは一層、そうなの、なるほどなぁ、と言う、みんなの暖かい眼差しに囲まれてしまいました。
それだけでなく、頭の中で金色の鐘の音のように響きつづけているのは赤頭巾ちゃんの言葉です。
”あたしの大好きなお友達です♪”
まるで、自分の足元までふわふわ柔らかくなったような気分です。
狼さんは腕をつかまれたままなのも気にならず、とりあえず、今日のところは仕方がないな、と思ったのでした。
めでたしめでたし。
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