〜謙信VS長政〜


 いつもどおりの道を歩くのに飽きた私は、ちょっと横道に入ってみた。
 あ、こんな所にも喫茶店があったんだ。

「喫茶 小谷」

 ホットケーキ、わらび餅セットなんていう昔風の何でもありそうなお店。
 ちょっと外からのぞいてみても、茶色いガラスの向こう側は良く見えない。

 ほんの軽い好奇心だった。

 重い木のドアを押すと、カランカランとベルが鳴る。
 ふつうにカウンターがあって、革張りのソファに低い机。
 オレンジ色の明かりも感じがいいのに、お客さんは居ない。

「お客、さま?」

 おずおずと、ピンクのエプロンに長い髪の女の人が店の奥から出てきた。
 胸には銀色のお盆をしっかり握りしめている。

「あ、はい」

 その人は、うつむいて微笑むと、ゆっくり近づいてくる。
 店員さんが来るのはお仕事なんだけど、でも、あれっ?
 なんだか周りの温度が下がって行ってる気がする。
 その上、ぼそぼそとした呟きを聞いちゃった。

「……これは、きっと夢ね。お客さまが来るなんて……半年に一回の、夢……」

 えっ! そんなに来てないの?
 大丈夫なのかな、このお店。
 と、この人。
 ここ、なんか怖い……。
 帰ろう。私は女の人に気づかれないように、そーっと後ずさりしはじめる。
 でも、女の人ばっかり気にしてたせいで、奥から真紅のエプロンの人が勢いよく走ってくるのに気づけなかった。

「市っ、私に恥をかかせるな。まずは、いらっしゃいませだと教えたではないか!」

「ごめんなさい、長政さま……でも、このひと、きっと帰るわ……」

 はい、そうです。ごめんなさいっ。

「それは注文その他を済ませたのちのことだろう!」

 いえ、いますぐ帰りたいんです。

「店長たるもの客をもてなしてこそ正義。さあ、これがメニューの全てだ!」

 もう、すごく分かった。どうしてお客さんが来ないのか。
 スパーンと巻物を広げるみたいにメニューを見せてる長政さんは、真剣な表情。
 だけど、悪いけど帰ろう。どんな嘘をついてでも!

「私お財布忘れちゃったんですっ。だから今日はちょっと」

「かまわん! 失敗は繰り返さねば悪にあらず! 今日の支払いはツケておこう」

 そんな颯爽と笑顔で許すなんて、手ごわい人……。
 ていうか、今時、普通は現金払いかカードでしょ!? 

「そんなのダメです。家、近いし、お財布取ってきます!」

「なんと、そなたは真面目で正直者だな。それこそ正義!
 店を開いたかいがあるというものだ」

「は?」

「私は誓った。兄者に資金を返せるほど、この店を繁盛させると!」

「わあー、そんな事情があるんですね」

「無論ッ、正義が約束を違えるなどありえない」

 順調に話がずれていってる。
 これはチャンスだ。
 ひきつった笑顔で後ずさりしてた私の手が、ようやくドアに届いた。
 このまま、このまま外へ……って、すごく重いんですけど。

「……ご注文が、まだだから……」

「市っ、ソレは最後の手段だろう!」

 ソレ、を見た瞬間、息が止まった。
 ホラー映画に出てくるみたいな黒い手が何本も、しっかりドアを押さえてる。

「っ、わああッ」

「それはメニューに無い。よく見るのだ!」

 叫び声ですっ!
 影絵とか、SFXがドア押さえたりしないよね?
 でも、絶対帰ります、という言葉が出てこない。
 こんな店入るんじゃなかった……。

「案ずるな。注文すればソレは消える。さあ客人、望みの品はなんだ?」

 ふつうに開け閉めできるドア。
 違う! そういう問題じゃないし、脅しじゃない!
 だけど注文したくないなんて、こわくて言えない。

 だれかっ、だれか助けて!
 頭の中で助けを求めながらメニューを見ているフリをする。
 冷たい汗をかきながら強く押し続けたドアに隙間ができた瞬間、一筋の閃光が差して視界を真っ白に塗り替えた。

「毘沙門天の加護ぞあれ」

 和服姿の人がドアの黒い手を撃退し、外の空気と入ってきた。
 よかったぁ……!
 足から力が抜けて、ぺたんと座りこんだ私のまわりからも
 黒い手がズルズルと遠ざかってゆく。

「……ひどい……」

 混乱してる私の前で、市さんが悲しそうにうつむく。
 長政さんは入ってきた人をキッと睨みつけ、堂々と怒鳴りつけた。

「上杉殿! 貴殿は何ゆえ他店の客を奪うっ。営業妨害は悪だぞ!」

 対する上杉さんは落ち着き払っていた。

「わたくしは、あやしきものを祓ったまで。ひとを縛め監禁するは接客にあらず」

 清々しい声そのままにキッパリと正論を言う姿は、後光が差して見える。

「監禁などしていない。今からメニューを決める段に貴殿が乱入したまでのこと!」

 長政さんの反論を鮮やかに無視して、上杉さんは私を見た。
 私は、だいじょうぶですか? と差し伸べられた手に助けられて、やっと立ち上がる。
 どうやら長政さんの注意は私から上杉さんに移ったみたいだ。

「客を奪い話にも応じぬ貴殿は悪! 正義の名の元に尋常に削除されよ!」

「わたくしは忙しき身。勝負は集客力で競いましょう」

「おお望むところだ。悪の経営する店に客が集まるわけがない!」

 ふっ、と微笑んで長政さんを一瞥した上杉さんは、素早く私を店から連れ出した。

「あ、あっる、ありがとう、ございました!」

 あわてすぎて御礼の言葉を噛んだ私の肩に、涼やかな手がゆったりと置かれる。
 そそがれる穏やかなまなざしは白梅のように清らかだ。

「礼にはおよびません。よければ、わたくしの店で休んでゆきませんか」

「はい。喜んで」

「では、ゆきましょう。武田屋に負けぬ菓子がありますよ」

 道中、二度とさっきの店には行かないことを約束した私は、自信にあふれる笑みを浮かべた上杉さんに、ずっと肩を抱かれたままだった。
 こんなに労っていただかなくても……と思いながらも、老舗和菓子屋「越後庵」へお邪魔した私は、おいしいお茶とお菓子をご馳走してもらった。
 怖い思いは、上杉さんの暖かなもてなしのおかげで、すっかり癒された。
 また来よう。
 今度はちゃんと、お客さまとして。












◇2015.03.03
 上杉さんの店は、信玄経営の武田屋を一番のライバルだと思っています。
 ちなみに、長政に出資しているのはヤバイ系のお仕事の織田組組長さんです。






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