〜光秀VS慶次〜
私は、その人から自己紹介された時、つい反射的に聞いてしまった。
「探偵さんですか?」と。
私の疑問を冷静に否定した「明智さん」は、私を和ませようとしているのか、その話を持ち出した。
「あれから、自分から言ってみることがあります。
私は、冗談、というものが苦手なもので重宝していますよ」
私の前には、普通の四角いローテーブルがある。
その上にはポットが1つに、カップが2つ。
どこにでもあるような白いティーセットだ。
でも、この部屋もチラっと目に入ったキッチンも、人が生活している感じが薄い。
「それは、良かったです」
原因の見えない緊張で笑顔が引きつる。
相手とあまり親しくない、という事だけじゃない。
すすめられたお茶が、なぜかピリッと舌に障る味だったからだ。
何の味かは分からないけれど、今まで口にしたことが無いのは確かだ。
なんとなく舌先が痺れてきているような気がする。
「それにしても、あなたは義理固い方なんですねぇ」
明智さんは、腕を伸ばして机の上の封筒を手に取った。
「すべてクリーニング代に、とお渡ししたのに、お釣りを返しにわざわざ会いに来られるとは」
「迷惑でしたか?」
微笑して、明智さんが首をふった。
雨あがりの日。服に雨水を跳ね返してくれた高級そうな車を怒鳴りつけたら、
すごく目鼻立ちが整っていて氷のように独特な笑みを浮かべた長髪の人が顔を見せた。
スモークガラスの車だったから、1人だったら何も言わなかったかもしれない。
が、その時は友達の慶次がいっしょだったから、強気の対応に出たのだった。
ちなみに慶次のとりえは、ケンカが強い、の次が「顔が広い」だ。
相手を見るなりハッと息を飲んだ慶次と、にこやかな明智さんとの間で私がキョロキョロしているうちに、
やたら多すぎるクリーニング代が舞い込んだ。
慶次が止めるのを押し切って、明智さんの知り合いを紹介してもらった結果、
私はここにいて、慶次は明智さんの知人の和服美人と一緒に階下で待たされている。
いや、見張られてるのかもしれない。
「あの、慶次は明智さん達と知り合って、長いんですか?」
「どういう意味でしょう?」
「だって、この、」
ひとくちだけ飲んだカップに目をやった。
明智さんは、一応自分の職業について「出張が多い」とか、「輸入代行業が中心ですね」なんて言っていたけど、それ以上のことを聞く気になれないような雰囲気の人だ。
私は、慶次が何か、人に話せないようなことに巻き込まれていたら嫌だ。
「ていうか、あ、さっきの女の人。
住んでる世界が違う感じで、きれいな人だったし、なんとなく。です」
「おや、慶次君も隅に置けませんね」
「え? 慶次は友達です! そういう意味じゃないです!」
あわてて言ったせいか、語尾で舌を噛んだ。
それがおかしかったのか、また、音もなく明智さんが口の端を上げる。
「からかっただけです」
ですが、と明智さんは話を続けながら、私の前に置いてあったカップを、すっと取り上げた。
止める間もない、というより、相手が腰を上げてから手が伸びるまでの動作は、スムーズすぎていた。
よどみない滑らかさで明智さんは元の場所へ腰をおろすと、手にしたカップの中身を一気に飲み干した。
「あっ、明智さん!」
思わず立ちあがろうとした私の視界が、ぐらぐら揺れる。
おかげで言う予定だった言葉…「そのお茶は」、「だめです」、「だいじょうぶですか」…も、順序がぐるぐる入れ替わって、さしあたり私はラグの上へ座りこんだ。
「いけませんね。ご気分が悪くなったら教えてくださらなければ。
あなたという人は、どこまでも遠慮深いことだ。
だいじょうぶですか?」
こう言われると、すさまじく負けた気分がした。
言い終わった明智さんは、クックッと楽しそうに笑っている。
「あ、明智さん、それ、飲んで、なんとも?」
もう思い違いじゃない。
舌が痺れているし、体中に見えない鎖が巻きついてるみたいだ。
「私は耐性がありますので、べつに。
ですから不慣れなあなたの分も美味しくいただきました」
「そ、それ、って」
さしあたり、ひどい! と思ったのは伝わったらしい。
「なるほど、あの量では素人にも気づかれてしまうわけですね。
何分、自分では分かりかねますので、あなたには黙ってご協力いただきました。
では、これで貸し借りなし、と言いたいところですが」
明智さんは、おもむろに懐から薄い銀色のケースを出し、カチリとふたを開けて、袋入りの注射器を見せた。
そして、茫然と明智さんの手元を見ていた私のそばへ来て膝をつくと、冷たく、低く、甘い声でささやいた。
「もっと気分が悪くなるのは、嫌、でしょう?
安心してください。今日は解毒剤のアンプルがあります。
そうだ、今度からは慶次君に秘密で会いましょう。
その方が、あなたも、慶次君も、心配事が減るというもの。
賛成していただけますね?」
こう言われると、首をたてに振るしか無い。
誰が、どこからどう見ても不自由で、危なすぎるにも関わらず。
それなのに、どうして私は明智さんの声に聞き惚れたりするんだろう、という悩みは、
体から痺れが取れた後もおさまらなかった。
◇2016.08.12
長らく拍手に据えていたお話をアップしました。