絶望を知っている大人の手
沸騰させた湯でじっくり煮出した薬の香りが雨乾堂の中にただよう。
布団の上に座り、浮かない顔で待っている病人は、ともすると養生の手を抜こうとする時がある。
普段、真面目で通っている人物だけに意外な気がするものだが油断できない。
「はい、どうぞ」
大人しく煎じ薬を受け取る手は骨張って大きく、一瞬、茶碗ごとの手を包みこむ。
「……にが」
大人げなく口をゆがめた浮竹は、薬をふーふーと冷ましながら口に運ぶ。
「お白湯と、こちら、も用意してあります。がんばりましょう」
袋入りの黒飴を見せると、相手の顔に困ったような笑みが広がる。
「悪いな。非番の日まで」
「いいんですよ。どっちみちお見舞いに来ますし」
「口なおしなら饅頭がある。京楽が持ってきたんだ」
そういえば水屋に箱が置いてあった。
食欲があるのはいいことだ。
しかし、上目使いの目をにっこりと笑顔で見返した。
「あとで、取ってきます」
はぁ、とため息をつく浮竹。やはり何か企んでいたようだ。
「ちゃんと飲まないと良くならないでしょう」
「うーん。書類がたまるしなぁ」
こめかみのあたりを掻いて、また一口薬をすする。
「だが、良くない時でも悪くもないぞ。案外」
「は?」
茶碗の中身を見おろしている浮竹は、いたって平静だ。
「俺はな、病気がなかったらずいぶん心配性の悩み屋になってたんじゃないかと思うんだ」
「悩み屋?」
浮竹はいつも朗らかでざっくばらん。暗く悩みこむ姿などおよそ想像がつかない。
「ははっ、考え事は俺には似合わないか?」
「いえっ、そんなことは……」
ない、とは言えないが、一応否定する。
でないと、まるで相手が極楽トンボのようではないか。
「咳が出たり熱が出たりで手いっぱいの時、体は苦しいが、頭は空っぽになるんだ。
考え込んだりしてるヒマなんかありゃしない。
そんな時間のおかげで、何か救われてる気がするときがあるんだ」
「何も考えられないほど苦しいほうが大変ですよ、普通」
「そうなんだよなあ、普通」
首をぐるりとまわしてから、浮竹が天井を見やる。
それから大分冷めた薬をごくりと飲み下し、また顔をしかめる。
「俺はたぶん、病気と仲が良すぎるんだな」
「手を切る方向でお願いします」
「ははは、そうだなあ」
真面目なお願い事はあっけらかんと笑って受け流されてしまった。
なんだかのほうが浮竹の身内の病に負けている気がする。
「そうだなあ、じゃないですよ」
「うん。ほら」
浮竹がいたずらっぽく茶碗の底を掲げて見せる。
全部飲んだ証拠とばかり、自慢気だ。
「饅頭、取ってきてくれないか」
「はい。よく飲めました」
は寄せていた眉をしかたなくゆるめて微笑むと、立ち上がった。
◇2016.07.30◇
お見舞い兼見張りでしょうか。微妙な距離のカップルです。