悩めるレモンスター
「はぁ…」
夏が終わって新学期が始まって、待ち遠しかった部活も再開した。でも、ためいきが出てしょうがない。
「花柄? 色は同系色? あ〜、どうしよう。決まんないよ…」
膝の上から机の上、近くの椅子の背にもとりどりの布があふれている。文化祭に向けたパッチワーク作品をひとつ、という方向は決まっているけれど、色を選んで図案をまとめあげるパワーが出ない。
「。夏合宿から悩んでるよね。」
「うん」
気づかってくれた小野寺さんの手には鞄がある。
「あれ、帰るの?」
「今日は部長も来てないし。ちょっと早いけど。」
すまなさそうな答えの中には私のパワー不足の原因もあって、どうしてもそっちへ考えが流れる。
手芸部の夏合宿に一日も顔を出さなかった部長のことを。1年だけど部内で一番針さばきが華麗で、みんなの尊敬を集めている石田君のことを。
「部長のくせにねー」
あはは、と全然深刻ではない笑いを共有し、軽く手をふり小野寺さんを見送ると、もう一度私は机の上から布を持ち上げる。でも、手の中のアジアン系の赤地に金色の幾何学模様を見ていると、今度はもやもやと井上さんのことを考えはじめてしまった。
石田君と同じクラスの、すごく胸が大きい…だけじゃなくて独創的なアイディアが出せて、天然系に可愛くて、それで、この前廊下でちらりと見たとき石田くんと休み前より仲が良さそうに話しているところまで目撃したっけ。
胸…胸か、やっぱり大きい方が男はうっとりしちゃうもんかな…。などと、あっという間に考えるべきことを忘れ、私は自分の胸をじーっと見て、かなり長い間固まっていたらしい。お待ちかねだった人の声をはっきり聞き分けた時には飛びあがるほど慌ててしまった。
「先輩。先輩!」
「ぇあっ、ハイィッ!うわ、石田部長!」
「そんな驚くことじゃないでしょう。」
遅れて部に出てきた石田君はややムッとして声で、眼鏡をついと押し上げてから、こちらの手元に目を走らせる。私の作業は進んでない上に相手は年齢詐称かと思うほど落ちついているなんて、重ね重ね辛い状況だ。
「これは、これから色を決めようかなーてトコロ…なん、だけ、ど。」
「色」
しばらく黙ったあと、石田くんが淡々としたいつもの口調で呟いた。
「じゃ、手伝えることは無いですね。」
確かに、技術的なことならお手本を見せてもらうとかができるだろうけど、デザインや色の着想は自分がなんとかしないとどうにもならない次元の話なわけで。
「何かテーマとか見えたら、もっと出来上がりのイメージがはっきりすると思うんだけど。」
でもねー考えてても、すぐ別のコトを考えちゃうのがねーと、つい心の中で後ろ向きになってしまった拍子に、また、溜息が出た。
「…はぁ」
「…」
くるりと直線的にひるがえる背中と、まっすぐきびきびと歩き去る足が二本。石田部長は私のあまりのダメさ加減に、あきれてしまったのだろうか。ふだんから気さくなタイプじゃないから、こういう時本当に機嫌が悪いのかどうか分かりにくい人だ。どうする…? と布を握ったまま、何も言い出せず臆病に見守っていると、鞄を取ってツカツカ戻ってきた石田雨竜がトンと紙の箱を机の上に、箱の一辺は机の角に対して平行になるよう正確に置いた。白地に穏やかな紅葉色がデザインされたパッケージは、まだ封が切られていない。
「これ…?」
語尾をあいまいに上げ、不思議な道具を持ちだされたように聞き返していた。
「甘いものは考え事に良いことを思い出しました。」
それだけです。と急いでつけ加えて石田くんは、これも忙しそうに手を動かし眼鏡の位置を直した。
「あ、でも、石田くんが食べようと思って買ったんじゃないの?」
聞きながら、今はなんだか、だんだんお腹の底のあたりが暖かくなってくるようだった。そして、どきどきするような、笑いだしたいような気分がじわじわとそこから染みだしているような感じがする。
「それは、新発売だったからで…つまり」
だから当分はどこのコンビニにも置いてあるだろう、珍しくも無い、なんてことを石田くんは続けて話す。「大したことじゃないですから」と力説しながら、何度も眼鏡を気にする。大したことじゃなかったとしても、石田くんにも半分食べてもらおう。でも、その前にいっぱいに広がった幸せ気分を、せいいっぱい笑顔にこめて言うことにした。
「石田くん、ありがとう!」
もう私の頭の中では、まだ出来ていない出展作品に、ピンクから濃い赤へのグラデーションで彩られたレモンスターが鮮やかに咲き初めている。
◇06.03.27◇
小野寺さんというのはコミックス12巻のおまけマンガで登場していた手芸部員の2年生です。