Singin' in the Rain
あたしは、急に降り出した雨の中、ハンカチを頭に乗っけて小走りで走っていた。
でも、あくまでお行儀よく。
ほんとは、おろしたてのロングカーデに水染みが出来たらどーしてくれんの、バイト何時間分の値段だったと思ってんの? なんてイライラしていても、顔には出さない。
世間が思ってるほどお金が無くても「大学教授のお嬢さん」のイメージを守るってタイヘン。
渡りそこなった横断歩道は赤いマークが灯ったまま。
クソ、信号長っ! と思いながら、仕方なく通りすぎる車を睨んで小さく足踏みしていると、後ろから声をかけられた。
「お困りですかな? お嬢さん。」
振り向くと、一人の男性が大きな蝙蝠傘を差しかけてくれていた。
「さあ、遠慮なくお役立てください。」
礼儀正しく堂々とした物腰。
きちんとスーツを着こなして、身だしなみもバッチリ。
うっわー! って驚いてた自分を現実に引き戻し、あわててお礼を言った。
「まあ、ありがとうございます! あの、お名前は?」
ビニ傘じゃないんだから、もらうわけにはいかない。
返さないといけないのでお名前を、と聞くと、男性は爽やかに微笑んだ。
「名乗るほどの者ではありません。その傘は、もうあなたのものだ。」
ひらりと品良く動かされた手には仕立ての良い革手袋。
芝居がかったセリフと身振り。
あんたは古き良きロマンス映画か! と内心ツッコミを入れたのに、ドキドキと胸の鼓動が速くなる。
「でも…」
言いかけたところで、激しいクラクションの音が何台分も響き渡った。
信号が変わったのに、ずーっと止まっている黒い車のせいで後続車は我慢の限界らしい。
というか、止まりっぱなしのイカツイ黒塗りの車もクラクションを鳴らしている。中から眠そうな顔の男が身を乗り出して言った。
「ウィルバーさん、早く乗ってください。」
「うむ。紳士たるもの交通ルールは守らねばな。」
男性はスマートに車に乗りこむと、あたしに向って帽子をちょっと上げて別れの挨拶をした。
走り去る車。
名乗らなかった見知らぬ紳士。
でも、あたしウィルバーさんのこと忘れませんから!
借りた傘の下から車が見えなくなった後も、あたしはその場に佇んでいた。
◇09.11.29◇
題名の邦題は「雨に唄えば」。
↓この歌詞がイメージに合ってたので、題名にしました。
”The sun's in my heart
And I'm ready for Love.”