拾遺 5.
一仕事終えて詰所を出ると、日が傾き薄暗い瀞霊廷の通りには同じように勤務明けらしい死神が多かった。
こちらは懐手で呑気に歩いているが、行き合う者達は誰も大概緊張に顔を強張らせ、あるいは、はっきりと恐怖の色を浮かべて目を伏せ、足早になる。
まったくつまらない日常の景色だ。
がら空きの道の真中を歩いていると、肩にしがみついている重みが喋りかけてくる。
「剣ちゃんさむいね。」
「あぁ。」
「追っかけっこしよー、隊舎まで。」
「すぐ着いちまうぞ。」
「えー」
「風呂へ入れよ。メシ食う前に。」
「うんっ。いっしょに入ろ!」
「…あんま風呂で遊ぶんじゃねえぞ。」
「はーい!」
やちるは嬉しそうに笑ってパタパタと足を動かしている。
その一時も大人しくしていない子供が、急に、滑るように肩の上へ膝を乗せて伸び上がると、前方をまじまじと見つめた。
まるで野生の動物が遠くの音に耳をそばだてる時のようだ。
「剣ちゃん、あれ。」
言われる前から目に入っていたのは角を曲がって一生懸命こちらへ走ってくる女の死神だ。見覚えのある女は見る間に近づくと、少し手前で止まって一礼した。
「更木隊長、草鹿副隊長、お疲れさまです。」
そういう声は、少し息が上がっているために上ずっている。
「おう。」
「こんばんは!」
前を通りすぎると歩調をあわせてついてくる。
女の、高い位置に一つに結われた髪がさらりと揺れる。
数日前に何とは無しに部屋へ通してやったせいで、当然のような顔をして脇を歩いている。
「どっか行くとこー?」
「いいえ。」
息を継いでから、やちるに穏やかな声が答える。
「今、ついたところです。」
やちるが不思議そうに首をかしげる。
「剣八さんのそばに。」
うっかり声のする方を見ると、微笑んでいる女と目があった。
「なんだそりゃ」
こっちをナメているか、自分勝手な夢を見ているか、どちらかだろう。
「何って。言ったままです。」
「お前が知りたがるようなことなんざ、無えッつってんだろ。」
「まだ知らないことはいっぱいあります。」
淡々と返事をする相手からは、男を標的と見定めた女独特の、まつわりつくような媚びを含んだ眼差しも、自分を売りこもうとする気配もない。
何が目的か、は、もう聞いた。
そのまま三人で十一番隊舎の門をくぐると、四方から隊士が必死の形相で挨拶する声に包まれる。
それらの声に負けじと、よく通る声が追いかけてくる。
「更木隊長、心からお慕いしております。」
居合わせた隊士が水を打ったように静まり返る。
しかたなく足を止めて率直に言い返した。
「ウソつけ。」
女は、そっけ無くはねつけられても、落ちつき払って懲りずに見上げてくる。
「だから、そばに居たいだけです。」
一歩二歩と、女が髪を揺らして近寄ると軽く袖を掴んだ。
「ここに居ないと、剣八さんのことがわかりませんから。」
ふっと微笑むと、また静かな瞳に戻って黙る。
突然に、あくまで冷静に、はっきりと。
この女に初めて会った時と同じ不可解な感覚にとらわれる。
よくわからない真剣な何かがあり、刀を振るって遠ざける以外の断り方を選ぶとすれば、確実にクソ面倒な思考に時間をかけねばならないだろう。そこへ持ってきて、こちらは些細なことに貴重な時間とエネルギーを裂くなど馬鹿馬鹿しくてしようのない性分だ。
つまるところ、これ以上口で言い争うような気にはなれない。
「お前、固ぇ上に変わってんな。」
「どういう意味ですか。」
「そんなもん、てめぇで考えやがれ。」
溜息まじりに言うと、袖を掴まれたままにして玄関へと踏みだした。ふっと肩が軽くなる。
「お風呂お風呂っ! ねえ、えーっと」
動きはじめた空気を察して、やちるがはしゃいで背中から飛び降りると隊舎の中へ飛んで入り、それから女を振り返って言葉に詰まると、ちらりとこちらをうかがう。
「おい、名前はなんてんだ?」
やちるの動きを追うのに忙しかった女が、こちらへ向き直った拍子に、結い上げた髪の尾が乾いた音を立てて死覇装を打った。
「です。」
「ちゃんもお風呂入る?」
「えっ? 草鹿副隊長と」
「やちるでいーよ。」
「やちるちゃんと一緒に?」
「剣ちゃんもだよっ、ねーっ!」
「えぇッ!?」
あわただしく話しながら、やちるは早くも風呂場目指して走り出しあっという間に見えなくなる。固まったように突っ立っている女に声をかけた。
「怖じ気づいてんのか。」
たじろいだ目が、踏みとどまって睨み返してきた。
「少し、だけです。」
それを、そう意地を張ることでもないだろうに、と鼻で笑ってから先に立って歩き出す。
一瞬、住み慣れた隊舎が、まるで新しく足を踏み入れた場所のような気分がした。
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◇09.10.31◇