「あんた、男ができたでしょ。」

 執務室に入るなり、待ち構えていた上官が手にした筆を放り出して詰寄ってきた。
 飛んで火に入る…と言わんばかりに瞳がキラキラ輝いている。


  拾遺 4.


「松本副隊長殿。勤務中ですので。」

「いーのいーの。気分転換は仕事の能率上げんのよ。」

「とりあえず、これは隊長に回す書類ですので、ちゃんと確認お願いします。」

「こっちだって”ちゃんと”聞いとかないと、いざって時に困るでしょ? 上官として。」

 盾にされた書類にビシっと人差し指を突きつけ、さも真剣そうに言う。実力と美貌を兼ね備えた彼女が愛嬌たっぷりにスネて見せれば、大抵の頼み事は通ってしまうのが常だ。

「先に見てください。」

「だめ。吐かなきゃ見ない。」

「乱菊さん…職権濫用ですよ。」

 肩を落として溜息をつき、一応たしなめる。敵が事の全貌を聞き出すまで、あらゆる手を使うつもりでも簡単に折れたくはない。
 というか、話すほどのことなんて、まだ全く起こっていないのだ。残念なことに。

「じゃ言いますけど。言っておきますけど、面白くないですよ?」

「うんうんっ♪」

 前置きして、淡々と昨夜の顛末を話すと、目の前の好奇心に輝いていた瞳が次第に…困ったことに…一層活気に満ちてきた。

「それで? 部屋に上がりこんだってのに相手は寝ちゃって…って、次の朝は?」

「ふつうに起きて、挨拶して帰ってきました。」

 一瞬、二人は無言で見つめ合った。

 なんて穏やかな時間だろう、あきれて物も言えないか、予想以上につまらない話だと言って放免されるかも、という期待は見事に打ち砕かれる。

「ええぇえええー! あっりえないッ!! あのヒトそんなじゃないでしょォ!?」

「ちょ、乱菊さん! また隊長に怒られますよっ。」

 盛大に驚いた乱菊は、なだめようとしたの腕を逆にがっしと掴んだ。

「部屋まで持って帰ってんのにナメてんじゃないわよね!
 ね、あんたこれからどう攻めんのよ。手料理? 色仕掛け?」 

…その熱心さで仕事をしてくれたらいいのに。

 は恋話に食いつきの良すぎる乱菊にため息をついた。
 仕事をする空気が遥か彼方へ遠のき、ちょっとやそっとで戻って来そうにないのも困るが、このまま自分がイジられ続けるのは、もっと困る。
 しかし、いまさら「私のことは静かに見守りつつ仕事に励んでください。」なんて言っても逆効果だろう。

「攻めるなんて考えてないです。」

「あら、のんびりしてたら、あの人うっかり戦ってるうちに忘れちゃうわよ。」

「ありえますけど、なんていうか…」

 考えるフリをしながら、目の前の話よりずっと重要な対策に頭をひねる。

「鬱陶しがられたら困るし」

「もうっ! 男と女ってのは、どっちかが積極的に隙を作れば…」

 話し声はだんだん大きくなっている。
 それに比例して、さきほど乱菊が悲鳴に近い驚愕の声を上げて以来、ごく近い場所から、ヒラ隊士なら真っ青になって逃げ出しかねない霊圧が独特の冷気をはらんで急速に膨れ上がっている。
 言うまでもなく、こちらの嬌声やら浮かれ気分の霊圧も察知されているに違いない。

 慣れているせいで乱菊は頓着せずに話し続けているが、ついに、冷気の主は耐えかねたらしい。荒々しく戸を開ける音に続いて、不機嫌に廊下を踏む音がする。

…ああ、隊長ずいぶん怒ってるなあ。

 が、挟み打ちになる覚悟を固めかけた時だった。

…そうだ!

 自分から注意をそらし、迫りくる怒りの矛先をもかわすため、急いで乱菊に耳打ちする。

「さすが、素敵なアイディアです!
 でも、悩むのは私だけじゃなくなりますよ。」

 きょとんとして乱菊が黙ったのと、十番隊隊首が怒鳴りこんで来たのは同時だった。

「松本ッ! 何やってんだ、仕事してねーな!?」

「申し訳ありませんっ、隊長!」

 が素早く日番谷の足元に平伏して詫びる。

「松本副隊長殿は私の持ち込んだ相談に驚かれたのです。
 日番谷隊長のお叱りは私が受ける所存にございます。」

「どういうことだ。」

 日番谷冬獅郎は訝しげな目で交互に二人を見ている。
 普段が普段だけに、主に乱菊を警戒しているようだ。それでも部下を、その言い分も聞かずに処分するような狭量な人間ではない。

「わたくし、日番谷隊長に仲人をお願いしたいのです。」

「……なに?」

 仲人。
 間違い無く、日番谷冬獅郎が初めて部下を持った日から今日まで、頼まれたことの無い仕事だった。
 理由は簡単だ。

「失礼ながら隊長がお独りでいらっしゃることは存じておりますが、さしつかえはございません。
 私が心に決めた方も、慣例を気にしない方なんです。」

 真摯な瞳で頼まれると、雷を落としに来た勢いが少なからず鈍る。

「いや気にしろよ。仲人だぞ?
 待て、ふつーは俺より、すぐ上の誰か適当なヤツとかに…」

…あら、年相応って感じねぇ。ふふ。

 用心深く成り行きを見る松本乱菊の口元に微かな笑みが浮かぶ。

「もちろん、今すぐ、というわけではありません!
 ですから、ぜひ尊敬する日番谷隊長に…」

「待てって言ってんだろうが! その…あー、相手、は…誰なんだ?」

 独り者を仲人に立ててかまわない、などと考える男が気になった。
 あくまで上司として、である。
 日番谷にとってのは、真面目に職務をこなす、誠実で信頼できる部下だ。


「十一番隊長、更木剣八です。」


 返事を返すべき少年は若葉の色の瞳を見開いて、沈黙した。
 数秒後、やっとぎこちなく動きだすと、「そか、…考えとく。」と呟いて、自らの執務室へ引き返した。


 後に残った二人は声を落としてヒソヒソ喋っている。

「隊長ってば、あーんなポカーンとした顔しちゃって! ハトが豆鉄砲ってとこかしら。」

「他の人には、絶っ対、今の話は秘密にしてくださいね。」

「そーねえ、そっちのが楽しそう。」

 は、クスクス笑っている乱菊に、ひとまず胸をなでおろした。
 この様子なら、しばらくは生真面目な上司をかまうので忙しいだろう。

…隊長、申し訳ありません。身代わりにして。

 いつか、本当に剣八と華燭の典を催すことになった暁には、日番谷隊長には特別にしっかり御礼をしよう。

 そう、心から誓うだった。








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◇09.10.17◇
 日番谷隊長には苦労人道を極めていただきたくなり、
どうしても乱菊さんにはワガママを言って欲しくなり、
気がつくとシリアスモードを踏み外しておりました。


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