拾遺 3.


 各隊舎には、静まり返っている時間帯というものが無い。職務内容が瀞霊廷の警備まで含む上、昼夜を問わず虚は出現し、人の寿命も尽きるからだ。
 それでも、一日の始まりの時間には朝らしい緊張と活気がある。
 その空気を楽しみながら、斑目一角は大股で剣八の部屋へ向っている。他隊ならば、たとえ上位席官であっても朝っぱらから隊長の私室へずかずか近づく者はいないだろうが、ここでは副隊長が天真爛漫すぎるために一角が副官めいた職務までこなしている。そこへもってきて、プライバシーにほとんど頓着しない剣八の性格があいまって、隊長の私室は他に類を見ない開放状態だ。

「隊長ー、おはようございます。」

 おそらく次の間に居るのだろう。上司の低いくぐもった返事を聞いて襖を引く。
 そこまではいつも通りだったが、入るなり、いつもと違うものに否応なしに目が止まった。
 部屋の調度といえば黒い獣足の大机が一つ。座布団が数枚。どちらも隅のほうへ寄せて置かれている。
 広々とした部屋。その真中に女が座っていた。

「一角さん。おはようございます。」

 先に頭を下げた女は凛とした張りのある声をしていた。死覇装に、髪はまとめて一つに結い上げられ、黒馬の尾のように揺れている。
 別に、ここに朝から見知らぬ女がいるのは初めてではない。しかし、踏みこんだ一角に不機嫌な顔も見せず、気まずそうにするでもなく、落ち着き払って早くもこちらを見下してきた者は初めてだ。

「馴れ馴れしいぜ。てめえの部屋かよ。」

 昂然と顎を上げて声のトーンを下げた一角に、相手が首をかしげた。

「挨拶がなってねえなあ。」

 ますますドスを効かせようとしたところで、女が話を遮った。

「違いますよ。仕事じゃない時は名前で呼べって言ったじゃないですか。こないだ。」

「こないだ?」

「月吠ってお店で、ほか6人ぐらい。」

 そこまで言っても眉を寄せて黙りこんだままの一角に、女がため息をついた。

「ずいぶん呑んでましたもんね。」

「バッカ、今思いだしてんだ! 待てよ……」

「あ、」

「言うなっ!」

 しぶしぶ口を閉じた相手が、実は何を注意したかったのかは数秒後に明らかになった。
 一角は、閉め忘れていた襖の間から桃色の突風さながら部屋へ飛びこんできた少女に容赦無く蹴り倒されたのである。

「これは草鹿副隊長殿、お邪魔しております。」

 やはり慌てず騒がず、さきほどとは打って変わって礼儀正しい挨拶が出たが、目の前の二人の耳に入る気配は無い。

「てめっ、待ちやがれ!」

「キャー、剣ちゃんおっはよー! ごはんごはんっ。
 はっやっくーごはんいこーっ!」

 きゃーきゃーはしゃぎまわる旋風は、やすやすと一角に捕まらずに駈け回る。ついに奥の間の襖が怒声と共に開き、やちるが剣八の肩の上…すなわち彼女の「指定席」…におさまるまで騒ぎは続いた。
 いつもの場所に落ち付いたやちるは、かなり不機嫌そうな剣八の首に手をかけて初めて、女の方を指さした。

「あの子だれ? 剣ちゃんの?」

「いや」

「ふーん」

 やちるは面白そうに新参者を見つめる。

「これから暇さえあれば参りますので、どうぞよろしくお願いします。」

 これを聞くと、短くも重い息を吐いた剣八と、それにめげず真っすぐな眼差しを剣八に注いでいる妙な女。一角は、どのタイミングで口を挟むべきか悩んでいた。
 仕事相手でもなく、いわゆる「女」とも違うらしい。一体どーゆーご関係で、これからここへ出入りするのか聞きたいものだ。反面、朝から面倒に巻き込まれるのも御免被りたい。
 大人には色々な事情がある。上司は隊長で剣八である。女と自分は会ったことがあるらしいから名前を思い出せるはずだ。負けず嫌いな一角を救ったのは、時として残酷なほど素直なやちるの質問だった。

「この子どこの子?」

「さあな。道にいた。」

 なんともシンプルな答えだ。
 聞き足りない顔をしたやちるに、謎の女本人から補足説明がついた。

「私は更木隊長をお慕いしている者です。
 ゆうべは私から膝に乗って……、あ、もう剣八さんて呼びますね。」

 ちょっとした爆弾発言だった。
 「へえ〜」と面白そうに聞いているやちると対照的に、一角は動揺のあまり目を見開いて動きを止めた。
 自己紹介で女のほうから膝に乗ったなんて、ふつう言わないだろう。
 剣八も時候の挨拶を聞き流すような顔をしているだけだ。

「勝手にしろ」

「隊長っ!?」

 一応、部下の心配を減らすため、剣八は一角を目顔で黙らせてつけ加えた。

「ただし騒ぎ立てりゃつまみ出す。こいつは新手の暇つぶしじゃねぇか。」

 前半は女への警告。後半は一角に向けて。

「暇つぶし」

 女が復唱した。
 やけに一本調子の発音で。
 瞬間、一角はとても嫌な予感がした。今まで、この部屋で繰り広げられた面倒事は多い。剣八が基本的に戦い以外に情熱を注がないことを思い知った女が甲高い声で非難し、嘆き、あるいは泣いた結果叩き出される所を何度か目にしている。
 目の前の二人は早くも修羅場に突入するのだろうか。

「剣八さんて、思っていたより」

 考え深げに女が言う。

「たくさんお話する人なんですねえ。」

 なんだそりゃ。
 っつか、それだけか? と次の言葉に身構えたが、

「フロ、メシ、ネル、コロスぐらいしか言わない人のように思っていました。」

 そんな奴だと思っていたのか。
 その心から感嘆している雰囲気に拍子抜けしたのは一角だけでは無かったらしい。帰るから、と暇を告げた妙な女に、しっかり挨拶を返せていたのは無垢な笑顔のやちるだけだったからだ。








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◇08.12.31◇
 長らく寝かせておいた続きもの。
この長さなのにヒロインの名前が出てこないお話になりました。



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