拾遺 1.
少し前まで、更木剣八は酔いにまかせて人通りの少ない路を大股に歩いていた。「お宅までお送りを…」と料亭の主が言うのを断り、会合を一足先に切り上げてきたのだ。
最初、「なかなか話す時間が取れないものだから、たまには」と声を掛けてきたのは温厚篤実が服を着ているような五番隊隊首で、隊長ばかり数人が参加した飲み会となった。
それを宴、といえば楽しそうな響きだが仕事の上の付き合いで交わす杯ほど退屈なものは無い。しかも話題と言えば仕事がらみの連絡や隊首同士の相談などはごくわずかだった。
「そんなん酒飲みながら仕事の話やなんか長々するもんやあらへんで。」
懐石料理が似合う木目の美しい机に肘をつき、ちびちびと猪口の中身を楽しむ市丸の隣には、藍染惣右介が陣取っていて不満顔の剣八を穏やかな口調でなだめた。
「すまないね。君はあて外れかもしれないけれど、僕はこんな気のおけない懇親会が好きなんだ。」
莞爾として笑みを浮かべた顔は、普段それほど気を張っているようにも思えないが「気のおけない」などとさらりと言えるところが、他人の警戒をゆるめさせるのだろう。
「男ばっかで無駄話がか?」
剣八が言ったそばから、まぜかえす者もいる。
「なるほど、女の子が居ないと張り合いが無いもんだ。」
「そんな意味じゃねぇ。」
てめぇと一緒にするな、とばかりぶっきらぼうに答えたが相手は分からない振りなのか、のらりくらりと話を進める。
「世界には幸い二種類の全く違うタイプがあるんだから、お互いが気になって当然だよ〜。」
この、到底つきあいきれない話ばかりを振る八番隊隊首が、女性関係においても華やかだと噂されていることぐらいは剣八の耳にも届いている。女より血沸き肉踊る楽しみは他にいくらもあるだろうに、と思うが、ぐっとこらえて返事の代わりに酒を呷った。そのまま、だらだらと周囲は女の話を弄ぶ。
「時間が無くても一目会いに来るなんて、けなげじゃないか。」
「せやろか、なんもせんと帰るやなんて手管ちゃいますのん。」
「ギン、それじゃ相手の女性が報われないだろう。」
「惚れて小細工してくれるなんてのも、それはそれでなかなか…。」
「そんなもん考えるのも考えさせんのも面倒なだけじゃねぇか。」
加わるつもりのなかった他愛の無い話に思わず反論していた。愛だの恋だのを語りたがる人間は、見たこともない幻想にただ憧れているだけではないかとすら思う。自分の経験からしても、結局恋愛というものは異分子への興味や、恋人からどんな期待通りのものを得られるかに熱中している状態のことで、相手に飽きたり思惑が外れると途端に、あっさり今までの情熱の対象を格下げして次の「理想の相手」とやらを探しにかかるのだ。
だから、それに巻き込まれるのは「面倒」という一言に尽きる。考えを口にしたあと、机上が妙な沈黙に包まれ、ここでも勝手に気分を害されたのかと思っていると、京楽春水がことさら真面目な口調でこう言った。
「なるほど、ずいぶんお固いんだ。男と女の仲は真っ正直でなくちゃイケナイと。」
途中から肩が震えていて、言い終わるなりどっと笑いが沸き起こった。
「ははぁ、純っ愛やねぇ」
いつもそうなのだが、思い出すだに人を小バカにしたような軽口が余計に腹立たしい。よくわからないまま「似あわない」だの何だの言われた席を、今は遠く離れて歩いているというのに。
「くだらねぇ」
剣八は人づきあいの不毛さ加減に倦怠を感じていた。深夜の通りには一人の通行人もない。こちらが、単純で血のたぎるような気晴らしを心から望んでいても、都合の良い相手は居ない。
自らの強大な霊圧をもってすれば、腹立ちまぎれにあたりの建物に斬りつけてもそれなりの手応えは得られそうだが、そんな思慮の浅い方法に頼ると、返って後始末が面倒になる。
くそ。いまいましい。ちっとばかり酔っていようが隊長格ならそこそこまともに戦いを楽しめたろうに。
このまま歩き続ければ部屋へ戻る。ただし寝るまでには、髪を解き、死覇装を脱ぎ、余計な霊圧で部下を倒さないように気配りもし、と、そこまで考えて気がついた。すでに、とても眠い。それに、自分は普段、昔に比べれば別人のように周囲を気遣っているにも関わらず、傍若無人の印象は拭い難いらしい。それなら、誰も居ない場所でまで気を使う意味などあるのだろうか。眠いならここで野宿でも構わないわけだ。眠りを妨げられる者の顔も思い浮かばない。
決まりだ、寝よう。
そう思うなり、無風の路端にたたずんでいた長身は、どっかと腰を下ろすと白い壁に凭れかかって腕を組み、目を閉じた。
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◇06.11.05◇