張本人 〜前編〜
ガガッとクナイが幹に突き立つ。
よけるだけで精一杯。
武田領内に入ったばかりだというのに、迅速苛烈な包囲を受けた私は独りで多勢を相手にしている。
「あーらら。そんなもん?」
昼なお暗い木立の中から、あきれたような嘲けりを投げられる。
今回、私の受けた命はいたって単純な上田城周辺の物見だった。
それがなぜ、こうも窮地に追いこまれるハメになったのかわからない。まさか一人で真田忍隊を相手取っての斬りこみに来るわけがない。向こうもわかることだろうに……。
今は、まず包囲を突破することだけを考えなくては命が危ういのは確か。
「ふッ」
残り少ないクナイに煙り玉をつけて炸裂させ、煙にまぎれ梢を蹴って空を切る。
ひとまず引いて立て直さねば、と跳んだ先に張っていた者に膝蹴りを打ちこみ、そいつが声も立てずに落下した直後。
「ガラあき、だぜ」
「……ッ」
体をひねって身をそらし、急所は避けたものの左腿に衝撃が走り、私は無様に地面に叩きつけられた。
「っく……」
すでに気配も消さずに取り囲んでいる十人近くは、いまだ殺気をみなぎらせ、どうにか身を起すと足に刺さった小刀が身心に鋭い痛みを走らせた。
「ハイ、王手。って、そんな腕じゃウチの旦那の首は取れないね」
「何!?」
「甘すぎるにもほどがあるってもんだよ」
どうしてそうなる!
目の前に立ったのは風貌からして、手練と名高い猿飛左助だ。
こんな怪物とやりあって勝てるわけがない。
忍隊の長が出張ってきていると知っていれば、ここまでは……と悔やんでも後の祭りだ。
「さーて。あんたに恨みは無いけどさ」
無駄と知りつつ、必死で叫んだ。
「待てっ、誤解だ!」
「どっちでもいいんだよ、俺様は」
「いや、私はただ情報集めを命じられ」
ん?
命じたのは片倉様だ。
このごろの片倉様は、私がスキあらば政宗様に手を出さないか。
剣の稽古以外でも政宗様の相手をする者にならないかと案じている。
それは、かなり杞憂に近いけれども……。
「あーー!! 謀られたあッ!」
傷の痛みを忘れて天を仰いだ。
してやられた。
偽の情報を流してまで文字通り厄介払いしようとは!
忍が任務の最中に命を落とすことは珍しくもない。
逆に務めを果たさず手負いで戻れば、傷を理由に首にできる。
どっちへ転んでも見事な策にはめられたのだ。
べつにまだ政宗様と何もしてないのにッ! あの野郎ッ……。
「これは政宗様にとって私を邪魔に思う奴の陰謀だ!」
「そんな戯言、信じるとでも? あんたも忍、だろ」
「聞いてくれ、ともかく一人で来るわけないだろう」
「ま、知ってることは、ぜーんぶ唄ってもらうけどね」
別にこいつが冷血漢なわけじゃない。
逆の立場だったとしたら、私が同じことを言っているだろう。
こうなったら、せめて政宗様に迷惑をかけないようにゴネる振りをしながら舌を噛み切るか、と私は真剣に次善の手を考える。
「運ぶとしますか」
合図で私の両脇に降り立った忍が私の腕をいましめた時だった。
「佐あああぁ助ぇえええーー!」
疾駆する馬上には赤い鉢巻きも鮮やかな若武者が戦装束に身を固めていた。
「なっ、来ちゃだめだって言ったよね!?」
「おお、佐助! 無事なのだな。安心したぞ」
「あのねぇ、旦那が出てどーすんの」
「俺は万が一、お前の手に余る輩ならば助太刀せんと思い立つと居てもたってもいられなくてな!」
ぜんぜん話が噛み合っていない。
その上、話を聞くところ真田幸村当人なら……仕える忍の苦労はさぞ絶えないことだろう。
「ちょっ、あんたもそんな目で見ない!」
「いや。別っ、に」
「まったく、旦那のせいで俺様が笑われちゃったよ? ほら帰った帰った!」
「そうだ。真田殿は帰られよ。カタはついている」
「だよねー、って、なんで敵に味方されてんだよっ」
「そうか! 今は敵同士なれど佐助の知己なのだな!」
「「ちがうッ」」
私は真田殿が現れてから、冷徹な忍頭としての調子を取りもどせない佐助殿に再び同情の目を向ける。
敵と、異口同音に主の言葉を否定した後ではあまりに立つ瀬が無かったようだ。今回はチラリとこちらを見ただけで、真田殿の説得という難儀な仕事にとりかかった。
こんな好機を逃がしては忍の名がすたる。
「俺様の領分だぜ、これは」
「しかし」
「旦那にもしもの事があったら、困るのは誰か考えてる?」
「まずは政宗殿が三日にあけず愚痴を申されるかと」
ドスをきかせた忍の言葉に、いったんは矛をおさめかけていた真田殿の顔がカツオブシを見た猫のように活気づいた。
「政宗殿は息災か? そなた伊達の忍なのか? それがし、一日たりとて政宗殿と相まみえる時を夢見ぬ日はないぞ!」
「あーあーあー、旦那ッ! 忍は嘘つくのが仕事なの! こいつの言うことなんかに耳かさないでよ……」
「政宗殿は日々鍛錬に励んでおられる。国主として政にも勤しまねばならぬゆえ、真田殿の精進のほどを気に掛けられて私を甲斐へ差し向けられたのだ」
「そうであったか!! それがしも日々精進を欠かしておらぬ!」
頭を抱えているだろう佐助殿は、腕組みをして何とも言えぬ表情ながら、こちらへの厳しい注意はゆるめていない。そんな配下に気づかない真田殿は、ますます嬉しげに私の言葉に耳をかたむける。
「ならば精進のほどを拝見つかまつりたい」
「望むところ……と言いたいが」
すらりと槍を両手にしたものの、手負いの上に両の手も動かせない相手をいかに? と顔に出ている。
「政宗殿は、手指を動かすがごとくに刀をふるわれる。
真田殿におかれてはいかがか?」
「それがしとて負けはせぬ!」
「ならば我が身の忍装束、布一枚のみを斬ってみられよ。
政宗殿ならば、たやすき技」
「なるほど! ならば、この真田源二郎幸村が槍とくと見よッ!」
烈風の中にひらめく白刃を、炎のごとき二槍の猛進を誰が止められるだろう?
あっと言う間に装束は布きれと化し、鎖かたびらの下に体の要所だけをわずかに覆う布だけが残った。
「お見事なり!」
「そうであ……あ!?……そなたッ、おなごでは……あったとは、そっ」
ほんとうに、いま気がつかれたのだろうか?
いくら忍装束は性別が判じにくい作りとはいえ、声とか、なにかで察せなくていいのか。武将として。
黒い装束の切れはしがフワフワと舞う中で、無防備に背を向けた真田殿は耳まで赤く染めてうろたえている。
「政宗殿は、おなごの肌の五つや六つで刀を引かれませぬぞ」
「へぇ、ほんとに隠しダマは無し、かぁ」
「佐助ッ! 俺はまだまだ未熟と……ッ何を見ている! すぐ、修練の相手をせねばなるまい!」
「真田殿、べつに見ても減るものでは」
「だよねえ」
「知っていたのかっ佐助? それとも、配下の者を使っての戯れなどではないと言えぇええ!」
勤めに忠実な佐助殿はちゃんと止めていたし、真田殿が武器を手にしてからも声を枯らして制止していた。
ガクガクと揺すぶられながら、真田殿を殴り飛ばさない忍耐力はさすが忍頭だ。伊達家の忍耐力が足りない軍師に見習ってもらいたい。
「言ったよ。ていうか初めっから俺様の仕事だっつって、旦那は城で待ってる手筈だったよね。俺様が、二日も寝ないで……なんでヨソの厄介者の首切り役やんなきゃなんないんわけ!? 右目の旦那は俺様にビタ一文もくれる気ないよね?」
「佐助殿、心中お察しして余りある……ックク」
「それ以上笑ったら、生きて帰れないかもしれないよ〜?」
「いや失礼。当方とて無傷でもなし。戻れたあかつきには佐助殿に私の小袖二枚を送らせていただこう。真田殿にも一筆、政宗殿へ書状をいただければ」
「えー、それだけ? 独眼竜の旦那オトして色つけらんない?」
「努力する」
はあぁあああ、と佐助殿は深いため息をついた。
「利害の一致、てのは今回かぎりだぜ?」
「それはこちらの言葉だ。……何度もあってたまるか」
疲れを振り払い、煮上げたカニのような真田殿を振り払い、かろうじて骨折り損にならなかった佐助殿のおかげで、半月ほどのち、私はなんとか奥州へ戻ることができた。
戻った私を待っていたのは、思いがけない状況だった。
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◇2015.04.04