Killing Me Softly With His Song 〜中編〜



 エントランスのほぼ真ん中で、私はがっちり掴まれた腕をジタバタとひっぱりながら言い返した。

「バカっ! 離して! 知ら、な、いっってば!」

 言い終わるかどうか、というあたりで、上から若い男の声が降ってきた。

「アルバイトの次は、ナンパ、ですか?
 雑な手だと、そっちもうまくいかないですよ。」

 語尾に嘲笑うような気配がただよっている。
 声の方向からすると、階段のところにいるのだろう。
 私を押さえている男が、思わず背後に気を取られた瞬間、ここぞとばかりに相手の足を蹴りつける。なんで武道のひとつも習っておかなかったんだろうと後悔しながら、呻き声を上げた相手に、カバンのカドが当たるように祈って振り回した。
 ラッキーなことに、就活用のカバンは硬い部分で相手を殴ってくれたらしい。
 急に、後ろへ転びそうなぐらい体が軽くなった。

 どんな事情か知らないけど、これ以上関わりたくない。
 私は、「警察へ通報」、なんていう常識的な行動より何より、自分の安全だけを目指して棟続きのビルの方へ走った。

「動くな。」

 立ちはだかった相手に目を疑った。
 新たに一人、黒いスーツの男が通路をふさいでいた。もう外は暗いのにサングラスをかけ、手にした銃はこちらに狙いを定めている。
 そいつの後ろにも、もう一人サングラスの男がいる。
 なにこれ、ひょっとしたら私…、と思ったところで、私は、がくっと膝から床へ崩れおちた。
 なさけないことに腰を抜かした私の頭越しに、栗毛の男が、すこぶる軽い調子でサングラスへ話しかけた。

「おいおいアキラ〜、その子は単に就活で来たって言って」

 アキラと呼ばれた男が、覆いかぶせるように言い放つ。

「あんたは、これ以上オレらに手間かけさせねえ事だけ考えてろ。」

「オレが? どーしたって?」

 口調は明るい。しらばっくれるつもりなのだろう。しかし、黒づくめの仲間に囲まれ、狼狽を押し隠す額には汗が浮かんでいる。

「なんか勘違いじゃねぇの? こんな人数で大っげさ。」

 栗毛の男が階段を背にしたまま、肩をすくめてみせる。

「勘違いは、どちらでしょうね?」

 姿を隠す必要がなくなったのか、階段の踊り場にも黒服の男が立っていて、妙に育ちの良さそうな顔に似合わない、皮肉な笑みを浮かべている。

「おいー、まさか、この女の前で撃つつもりか?」

 その場を動けない男が、なおも言い逃れに時間を費やそうとした時、自動ドアの開く音が緊張を破った。

 現れた無言の黒服の集団を、私と、栗毛の男だけが、言葉を失って凝視する。
 彼らの中に、ひときわ貫禄のある男が居て、悠々とした足取りで入ってくると、冷静かつ極めて簡潔に言った。

「必要があれば、な。」

 その両脇を固めていた部下達が、スッと包囲の輪を広げる。
 中心の黒手袋の男は、煙草を燻らしながら冬の大気より冷え冷えとした目で投降をうながした。

「帰る時間にしちゃ早いが、逃げるには、夜は長いぞ?」

 物静かに恫喝され、ひるんだ男が取り押さえられたのは、あっという間の出来事だった。
 うなだれ、引きずられるように黒服の男達に連れて行かれる後ろ姿には「敗北」の二文字が浮かんでいた。

 非情な世界なんだな、と思ってぼんやり見送っていたら、後ろから声を掛けられた。

「あんたは何だ。」

 アキラとかいうサングラス男が、まだ銃を向けている。

「え? ちょっと、私は就活で来てる、ただの学生です!」

 なぜか、まだ嫌な予感が続いているのが気になる。
 あの栗毛男が捕まってしまったから、この黒服の人達は目的を達成しているハズだけど。

 階段を降りてきた黒服が、皮肉っぽい調子で追い打ちをかけてくる。

「ただの学生にしちゃ、勘が良いですね。
 このぼくが、すこし自信をなくしましたよ。」

「それも偶然だから、気にしなくて良いんじゃないですか?」

 私は、床に座りこんだまま、疑わしい目の黒服男に囲まれている。
 なんだか、これ以上マズイ状況が思い浮かばない。
 そこへ割って入ってきたのが、さっきの迫力ある「ボス」。

「面倒に巻き込んだな。送ろう。」

「シュバインさん!」

 意外そうな顔をする部下達より先に、私は必死に断った。

「いえ、おかまいなく!
 お仕事お疲れさまでした!
 私は1人で帰」

「急げ。車を回して1分で撤収する。あんたは、ついでだ。」

「で、でも…」

「あのな、人の好意は素直に受けておくもんだぞ。」

 決して、強い調子で言われたわけじゃなかったのに、私はついうなずいてしまった。
 立ち上がるのに手を貸してもらって外へ出ると、すでに黒い車が待機していた。
 後部座席に乗り込んだシュバインと私の次に、もう一人部下の男が乗り込む。

「出せ」

 指示に従って車がなめらかに走り出す。
 居心地悪く黒服に挟まれて座っていた私は、ふと、あることに気がつき、ついさっき「これ以上マズイ状況」が思い浮かばなかったノンキな自分を恨んだ。

「あの、私のカバンは?」

 返事がない。
 出てくる時に足元がフラついていたので、ひとまず持ってもらうだけだと思って近くのサングラス男に預けたのは、大きな間違いだったらしい。
 チラリと左側を見ると、ニヤニヤと面白がっている表情の男と目が合った。こいつは白人でブロンド。私のカバンを持った男とは別人だ。

「私、最寄りの駅で降ろしてほしいんですけど。」

 ふーっと一服楽しんでから、おもむろにシュバインが言った。

「俺は、駅や家に送ってやる、なんて言わなかったが。」

「はぁっ!?」

 こんなことになるなんて聞いてない!
 でも、走っている車からなんて逃げ出せない。

「ちょっと待ってよ、どういうこと?
 まさか、あそこで腰抜かすような人間を疑ってるの!?」

「演技かもしれん。念には念を入れさせてもらう。」

「念を入れる?」

 聞き返した私を左手を上げて制止すると、シュバインが懐から携帯を出して応えた。

「俺だ。―――なるほど。
 戻ってから確認する。」

 電話を切り、くわえていた煙草を左手に持つと、あらためて、こちらへ顔を向けた。

「情報を控えたら、カバンは返してやる。」

 言葉を切ると、わずかに上げた口の端に冷酷な色を浮かべた。

「あんたにも、幸せでいて欲しい家族や、友達がいるよな?」

 ぞっと背筋が寒くなると同時に、あまりにも見事な八方塞がりで、やりばの無い怒りがこみあげる。
 相手に対してはもちろんだけど、自分の不運さと、不甲斐なさにも腹が立つ。せめて嫌味の一つも言ってやらなければ気がすまない。

「最っ低。そんなことしなくても誰にも言わないのに!
 あんたなんか、そのまま煙草の吸いすぎで、不ッ細工なデブッデブのハゲオヤジになって肺ガンで死ねばいいんだから。」

 ハンドルを握っていた若い男が低く言った。

「ちょっと、元気が良すぎますね。」

「しかし正論だ。俺も、タバコが健康に良いとは思ってない。」

 そんなこと言うなんて意外だと思っていると、シュバインは、深々と吸った煙を吐いてから、つけ加えた。

「だが、仕事に比べりゃ可愛いもんだ。」

 私が、ぐっと言葉につまったのは、もっともな話だと思ったのと、向けられた底冷えのする目が、私を「仕事」の方に分類しかけているのが伝わってきたからだ。
 バックミラー越しに、私を見ていた黒服が薄笑いを浮かべたのにムカついたものの、おとなしく黙っておくことにした。







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