「歳時記」
船団の会HPの投句にて、また一句予選に選んでいただけました。
ねだられて猫の肩揉む日向ぼこ 遠野あきこ
これは、実体験に基づく句です。
我が家の猫は、のどの下や腹だけでなく、背中や足のマッサージをしてもらうのが大好きでした。
特に、私が通りかかると凄まじい声で鳴いてから、おもむろに背を向けて座って待っていました。
その猫は昨年四月に天寿を全ういたしました。
いまだに悲しくてたまりませんが、私が思い出す彼女は、背を向けて座っている姿が多いです。
ところで、「これから、もっと俳句の勉強をします。」と言うと、「どんなことをするんですか?」という質問をいただくことがあります。
具体的に一人で行っているのは、先人の句を鑑賞する「佳句鑑賞」。「たり・る・らる」など、古語助動詞の正しい活用を身につける。季語を学ぶ。といったことです。
中でも、季語の知識は欠かせません。
江戸時代の句を理解するにも、句を作るにも、たくさんの季語を知っていないといけません。
本格的な歳時記は、春・夏・秋・冬・新年の五冊にわかれ、各季節の動植物や風物が分類されて列挙され、例句も収録されています。
ところが、実は私が今まで使っていた歳時記は『ハンディ版 入門歳時記』(角川書店)という、入門者向けのものでした。
入門用は、収録語数が少ないのです。
入門期を過ぎれば、使う歳時記も高いレベルのものへ変えて行くものです。
より季語の収録数が多いもの、構成の傾向、あるいは編集者に敬愛する俳人が入っているかどうかにこだわって選ぶ方もあるでしょう。
これは例えるなら、英語の勉強が進むにつれて、ジーニアスや、英英辞書を使うようになるのと同じです。
というわけで、私は昔買った『俳句歳時記』(平凡社)の「冬」の埃を払って使い始めました。加えて、祖母が譲ってくれた『大歳時記』(集英社)も活用しています。
平凡社刊行のほうは、構成が手堅い印象で、例句には俳人名だけでなく、所収の句集名まで載せられている点が気に入っています。
集英社刊行の見所は、美しい写真と絵画が多数収録されている点でしょう。
冬の季語、「狐火」の項には歌川広重筆の「名所江戸百景・王子装束えの木大晦日の狐火」が載せられています。
お恥ずかしいことに、これが冬の季語だとは、歳時記を替えるまで知りませんでした。まったく精進が足りません。
それで、前に「俳句で怪談はできますか」というような質問をされた時に、「そんな、語るのに長い文字数が必要なテーマは、俳句向きでは無いので無いと思います。」などとお答えしてしまいました。あれは誤りでした。
では、狐火が詠まれた句を見てみましょう。
狐火や髑髏に雨のたまる夜に 蕪村
この句は大変知名度が高いですが、かといって、これが現代人の感覚で言うところの「怪談」として詠まれたかどうかは、断言しかねます。
なぜなら、蕪村の生きた時代には、野山の人骨や狐は、現代よりも日常的にあったと考えるからです。
こういう句もあります。
狐火の燃えつくばかり枯尾花 蕪村
枯尾花とは、枯れたススキです。ゾッとする景色というより、自然現象を見て写生した句と感じられるのですが、いかがでしょうか。
これらの句は、蕪村俳句集4巻収録で、
こちらのWebサイトで公開されています。
時代が下がると、狐火は、はっきりと怪談の色合いで詠まれています。
太郎に見えて次郎に見えぬ狐火や 上田五千石
おともなく狐火将棋倒しかな 三宅清三郎
狐火を恐れぬ祖母を恐れけり 島田まつ子
狐火を見てきしという髪じめり 佐藤きみこ
最後に、超常現象だの怪談だのを信じていなさそうな視点も、紹介させていただきます。
狐火を信じ男を信ぜざる 富安風生
諧謔と、俳人の皮肉な眼差しが伝わってくるようで、私はこの句が好きです。
2011年1月9日(日)