案内
 
単葉
複葉
 
 雑記
 
 記帳
 
 リンク
 
 

 

 
「シーズン」

 毎年、梅雨の時期には、いつの間にか静電気に悩まされていたことを忘れています。これもひとつのシーズンオフです。
 そうやって乾いた寒い季節はすっかり遠のき気温の高い日が増えてくると、空には油絵の具で描いたような夏雲が浮かびます。温度に比例して、職場の近くを通る学生さんも日増しに薄着になっていきます。
 女性の今年の流行はシースルー地とキャミソールの重ね着にミニ丈のシフォンワンピースなどのようですが、あるピンクのミニ丈は揺れている様子がホヤ(海にいる生物)そっくりに見えました。

2008年7月4日(金)
「広がる広がる」

 庭のラヴェンダーが元気に咲いています。株は大きく茎が長い品種のせいで、花が束になり絡まりあって斜めに倒れているのが青い炎のように見えます。
 そのひとうの青い穂の上を細い涼しい緑色の蟷螂が歩き、銀灰色の葉の一枚一枚が花と同じ香りで揺れていました。

2008年7月5日(土)
「七夕の空に」

 夕方、虹を見ました。場所は、見上げた空の天頂からやや西寄りのところ。雨が一粒も降らない日の、雲の多い日暮れ時に、時たま虹を見かけます。普通なら太陽と逆の空にかかるものですが、夕方の虹は夕日を視界に入れて見られる場所に現れます。
 ある時は龍の胸鰭を彩ってきらびやかに輝き、またある時は、厚い虹から削り取られたのか、薄い氷片様の姿で微かに光ります。
 これについて、よくご存知の方がおいでであれば、是非とも現象の原因についてご教示ください。

2008年7月7日(月)
「稀少」

 日々の出来事の中には、自分の意志だけで達成するのは難しいものがあります。
 たまに実現しても、時間が経つと存在を忘れてしまうこともあります。
 昨日、あまり見かけないアドレスからメールが届いたので、しばらく首をひねった後で開けてみると、当サイトの記帳から送っていただいたメッセージでした。
 そういえばそういうものも設置しておりましたが、前回そのメールフォームが仕事を承ったのは2005年10月末です。約3年ぶり、オリンピックなみの快挙だ、と言っても過言ではありません。とても嬉しかったです。
 パココさん。メッセージありがとうございました。
 サイトを見てくださっただけでなく、感じたことを伝えていただいたおかげで、公開している言葉の双方向性を噛みしめました。書き添えてくださった詩と一緒に大切にします。

2008年7月9日(水)
「体感する季節」

 7月に入ったころから顔が痒くなくなりました。さわやかな気分です。
 アレルギー体質のため、5・6月は乾燥した空気とイネ科の花粉による反応が顔面に出て不自由していました。
 特に目元が痒くて、悪化するのが怖いのと引っ込み思案が手伝って、よほどの必要が無ければアイメイクをせずに過ごしていました。
 次に来るのは汗で皮膚がかぶれて大小のビーズが埋められたかのような起伏が発生する季節の到来です。
 アレルギーに関しては、年中油断ができません。

2008年7月10日(木)
「定期的」

 3ヶ月に1回歯医者へ行っています。治療ではなく、歯のクリーニングのためです。
 何度行っても顔の真上で歯石を取ろうとする他人の手が力をこめるあまりぶるぶると震えるのには慣れません。それから前歯の歯肉を突かれる痛みにも。
 ちょっと痛いのを我慢するために体に力を入れていたら、次の日には二の腕の外側が左右とも筋肉痛でした。運動不足を痛感しています。

2008年7月13日(日)
「頻繁に」

 フィギュアスケートの演技に使われて以来、こんなにもトゥーランドットの「だれも寝てはならぬ」がいたるところで演奏される日が来ようとは思っていませんでした。
 近所の小学校では朝の放送のBGMで使い、テレビの番組やコマーシャルでも耳にすることが増えました。
 「だれでも眠るにかぎる」という音楽があるとすれば、猫の耳元だけで演奏されているように思えます。

2008年7月18日(金)
「紀三井寺」

 週末に和歌山で一泊して紀三井寺を訪れました。
 石段を登り、和歌の浦を一望できる新仏殿で海を見ました。
 暑い日で境内はそう人が多くありませんでしたが、本堂より上へ登ると一層人気がなく、お稲荷さんが祀られたお堂は趣がありました。弁天堂へ至る崩れかかった山道はのぞくだけにして下山しました。

2008年7月21日(月)
「観音さまは知っている」

 先週末に紀三井寺へ詣で、たくさんの階段を上り下りした右足首が痛んでいます。さっさと歩けないほどの時があります。
 しかし元はといえば7月4日に職場の地下へ下りる階段の、残り二段というところででつまづいて落ち、その勢いのまま目の前の壁に激しく右足右胸右手首を打ちつけてから、どうもその方面の調子がよくありませんでした。
 お寺の石段だけが悪いわけではないのです。
 というわけで、足の不調について聞いた弟が「せっかくお参りしたのに足が痛くなるなんて」とお寺の御利益に疑念を示したのには反論しておきました。
「あなたの歩みは、ゆっくりにしたほうがいい。とか、もっと体を大切にしなさい。と諭してくださっているのかも。」
「おお! すごいな、その解釈!」と弟は私に目を丸くしましたが、世界三大宗教のどれをとっても、信仰の道においては起こる出来事の主観的な是非より、信者が経験から学ぶ内容が重視されるものです。

2008年7月26日(土)