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「十月一日」

 毎月一日が来るのが早いこのごろですが、涼しくなりましたね。チョコレートが溶けない季節を喜んでいたら、どうも 視界が揺れたり物が見えにくい気が…。
 さっそく目医者へ行っていろいろ検査してもらったところ、視力には問題ありませんでした。お医者さん曰く。
「右2.0、左1.5と良く見えてらっしゃいますね。見る物が揺れているように思われるのは疲労が原因でしょう。」
 それなら日に2回鼻血が出るのも、一日おきに鼻炎が起こるのも疲労が原因なんでしょうか。秋の花粉症かと思っていたのに。
 「鼻水と鼻血が交互に出る…」と母に訴えると「なんかぜんぜん若い女の子の言うことじゃ無いわね。」と あきれられました。あまり同情してもらえませんでした。  

2005年10月1日(土)
「このお話は全何回でしょう…原点その3…」

 さて、今日もなんとなく物の輪郭は揺れているような視界ですが、原点話の続きを書きたいと思います。
 医者へかかることにしたソン将軍は、人医のリンパー先生に疲れを取り除いてもらい、 馬医リンプー先生のところでは馬の調子を取り戻し、鞍と馬と将軍はそれぞれ元気に切り離してもらいます。 最後に草木の医者リンポー先生に将軍と兵隊たちの体に生えた灰色のものを取ってもらうと、 王宮へ行く準備が整ったのです。この治療の場面はそれぞれに処方される薬や施術が魔術的で 読みごたえがあります。楽しいくだりですが、三人の先生達が名医であったということを確認 しておくにとどめてソン将軍のその後へ進みます。
 王様に目通りしたソン将軍は長い間の忠勤をほめたたえられ「大将たちの大将」となること を望まれますが、ソン将軍はおほめにあずかったことで長年張り詰めていた気が緩んだように 感じられ、郷里に帰ることを願い出ます。願いは聞き届けられ、ソン将軍は自分の代わりに 大将四人を推薦し、また三人兄弟のお医者を「国のお医者におねがい」して郷里へと帰るのです。
 これで「そしてソン将軍は生まれた村のス山の麓でおだやかに暮らしました。」とは終わらない のが賢治作品の賢治作品たるところです。まだお話はつづきます。  

2005年10月2日(日)
「耳鼻科の診療」

 外耳炎になりました。「ガイジエン」と言うと意味を知らなければ広辞苑の仲間のようですね。パソコンで 打つと「外字縁」と出てきました。これはこれで通り一遍の辞書機能に満足できない病のようです。
 さて、左耳が痛くなり始めたのは火曜日ぐらいからで、職場で電話を取るとき一番困るので耳鼻科へ行ってまいりました。 そこで本日は受けた診療のお話になりますので、そういう方面の話が苦手な方は必ずパスなさってください。

 耳鼻科へ行くのは四年ぶりくらいでしたが、今回は薬を二回耳へ注入されました。ひやりとした液状の薬が耳に流れ込み 鼓膜まで隙間無く詰まると、あたかも水中に潜って溺れかけた時のようにくぐもった音がゴトゴトとこめかみの すぐそばで響きます。続いて、入れられた薬は詰めっぱなしにされることなく吸い出されます。この吸い出す音が まるで掃除機でサッシの下の狭い溝から頑固な埃を吸いだすときの、ゴムとプラスチックが擦り合わされながら 鋭い強風に翻弄されているような音がするのです。
 カタカナで表現すると、キュゥウー〜〜ーーシュゴゴゴゴゴゴゴキシーキューゥイーーイーシュゴーオォーシュコキオォー という音が左耳に充満していました。  

2005年10月8日(土)
「こころのさけび」

 今夜はこわごわ、サイトの更新履歴を確認したところ、自分の中の数日前に更新したような気分が ぜんぜん根も葉もないものであることが白日の下にさらけだされました。
 最後の更新は8日で、「わー」と5回くらい言いたいです。
 これは言い訳ではなく自分への提言ですが、どうにか今月中に賢治作品話の続きを、終わらせるまで 行かなくてもいいので、まずは一歩、進めることを目標にしたらどうでしょう?  

2005年10月25日(火)
「将軍は故郷へ帰り…原点その4…」

 前回はソン将軍が王様に仕えるかわりにお暇を願い出て、お許しが出た ところまでお話しました。 今回はまず、少々長くなりますが、以下へ前回の続きの、物語の終わりの 場面を手元の本から引用させていただきます。

「王はさっそく許されたので、その場でバーユー将軍は、よろいもぬげばかぶとも ぬいで、かさかさ薄い麻を着た。そしてじぶんの生まれた村のス山の麓へ帰って行って、 あわをすこうしまいたりした。それからあわの間引きもやった。けれどもそのうち将軍は、 だんだんものを食わなくなってせっかくじぶんでまいたりした、あわも一口たべただけ、 水をがぶがぶのんでいた。ところが秋の終りになると、水もさっぱりのまなくなって、 ときどき空を見上げては何かしゃっくりするようなきたいな形をたびたびした。
  そのうちいつか将軍は、どこにも形が見えなくなった。そこでみんなは将軍さまは、もう 仙人になったといって、ス山の山のいただきへ小さなお堂をこしらえて、あの白馬は神馬 に祭り、あかしやあわをささげたり、麻ののぼりをたてたりした。
  けれどもこのとき国手になった例のリンパー先生は、会う人ごとにこういった。
 「どうして、バーユー将軍が、雲だけ食ったはずはない。おれはバーユー将軍の、 からだをよくみて知っている。肺と胃の腑は同じでない。きっとどこかの林の中に、 お骨があるにちがいない。」
  なるほどそうかもしれないと思った人もたくさんあった。」
(宮沢賢治著「北守将軍と三人兄弟の医者」フォア文庫『風の又三郎』所収、岩崎書店、1982年)

 さて、皆さんはこの部分を読まれてどのように思われるでしょう。
 将軍は仙人になったのか、それとも人として天命をまっとうしたのか。 私は初めて読んだときから、今読み返してもまだその答えが出せずにいます。 答えの出ない理由は、まったく違う二つの結末が同じ比重で提示されているところだと 考えますが、結末についての詳しい話はまた次回にいたします。
 国語の勉強のようですが、ぜひ皆さんも「将軍消失の真実」について、どうしても どちらかの結論しか選べないとしたらどちらを選ぶか、考えてみてください。
 

2005年10月31日(月)